思想地図 vol.4、村上隆インタビューなど

「思想地図」vol.4。「想像力」という特集テーマを中核にしながら、個別の議題として思想、美術、文学、アニメ、政治と、多岐にわたって扱われている。その意図は巻頭、東浩紀によって明らかにされていて、つまり小さな島宇宙間で、個別の読者にのみそれらが読まれるのでなく、むしろこうして複数のコンテンツが集められることによって、各ジャンルごとの読者層の撹乱を狙うという意図によるもの。


特集内の五つのインタビュー、座談会のうち「物語とアニメーションの未来」、「村上春樹ミニマリズムの時代」の二つはそれぞれ、アニメと文学のゼロ年代総括といった感じ。両座談会でのおおよそ共通の認識として、95年あたりでアニメでは「旧エヴァ」、文学では「ねじ巻き鳥クロニクル」を頂点としてゼロ年代はそれぞれの表現が小さな消費者層に向けて自閉していった「ミニマリズム」の時代だった、と。今後こういった「ミニマリズム」的自閉を超えて「ハイブリッド」へ、というのが後者の文学座談会の結論になっていて、それは「思想地図」vol.4の編集意図そのものへの自己言及にもなっているように思う(追記:というか、このことは東浩紀による巻頭言に書いてありました。失礼)。


書いたように特集全体として扱われているテーマが広いので、とりあえず(さっそく編集意図を裏切ってしまうことになるかもしれないけど)普段の関心と近いところで、村上隆インタビュー「アート不在の国のスーパーフラット」、黒瀬陽平論文「新しい「風景」の誕生」、斎藤環論文「ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失」、座談会「物語とアニメーションの未来」を中心に読んでみた。以下、「村上隆インタビュー」に関して今後の議論のためにざっと素描しておきます。


前半、黒瀬陽平による司会で、村上隆が「アート界で成功する」というフィクションを体現することでアートの制度批評を行うという、きわめてトリッキーかつ真っ当なコンセプチュアルアーティストの道を歩んだことが示され、村上隆もその線で、つまり「アート界での勝ち負け」という問題設定の中で、自分がいかに悪戦苦闘してきたか/しているかということが語られる。さらにそうした現世での「勝ち負け」を超えて、いかに作品が未来へと残されるか、そのための本質を語るという段階の「オタクになりそこねて、現代美術へ..」というあたりで東浩紀が介入。俄然、議論がスリリングに。スーパーフラットといいながらも、経済原理をはじめ全くフラットでない現実を強調してきた村上隆に対し、より根本的にスーパーフラットの可能性を問いなおすことが可能なのではないか、と。現に村上隆マネーゲーム、象徴的権威、オタク的文脈などなど、複数のルールを用いて個別の階層構造を無効化する戦略をとってきたのではないか、というあたりはとても鋭い。その後、中原浩大ら80年代関西ニューウェーブに言及し「潤い」とか「青春」といった語が飛び出すあたりは、これまでの村上インタビューにないところにまでつっこんで話をしているようで、資料的な価値もあるんじゃないかと。


締め切りの迫った原稿があるのに、手元に「思想地図」があると気になって進まない。全体を通じて、それだけ刺激的だったことを付け加えておきます。とりあえず思ったことを荒くまとめている段階ですので、悪しからず。もう少し続けて、今後考えていくためのきっかけとしたいと思っています。