批評の現在とその後。

すこし前に永瀬恭一さんがブログにて「アートのメルクマール」というエントリをあげられているけれど、現在の日本の美術批評とその周辺の動きを捉える上で、おおよそ的確な見取り図となっているようにおもう。
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20090401
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20090402
ついでにいえば、ちょうど一年前に、同様に永瀬さんが書いた「アート・インディペンデント・メディアの状況」も上で描いた状況図を補強する内容になっています。
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20080417
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20080418


永瀬さん自身が書かれているように、現在、批評に関わる様々なアクトが多様な形で為されている状況で、しかし、いまのところそれらがどうもバラバラな形で動いているんじゃないかという認識は、かなりあたっているんじゃないかという気がする。とはいえ、様々な動きを束ね上げるような大きなメディアを想定することも難しい状況だし、あまり成功するとも思えない。有効な形としては、誤解-誤配の可能性をも孕みつつ様々な動きを断片的に、あるいは横滑り的に結びつけるようなノード(結節点)がもっと多くなることのように思いますし、先のエントリもその一つの役割を担っているんじゃないかと。こういったものが言説に対しても作品に対してもジェネレイティヴィティ(生成力)をもたらす状況だし、ウェブというメディアはそのための効果的なツールとなりえるでしょう。正直、こういう視点の広さをもった人がたくさん出てくればいいなと思う。


自分が関わった企画について反省する意味もあるのですが、とくに、「アートのメルクマール(1)」の中で昨年末の四谷アートステュディウム主催「批評の現在」のラインナップに対して「総まとめ」感がまさっていて「状況の最前線」では無いんじゃないかという指摘は、かなり的確だと思います(とはいえ、四谷の活動に対して、まだ情報発信のインフラにも不安があり、二回のシンポジウムを行っただけの「美術犬」を持ち上げるのは、バランスとしてはよくない気もします)。僕自身としては2008年度はいろいろな意味でまとめの年で、大学で年間通じてやってきたことは、いわば第二次大戦後から2000年くらいまでを様々な時代の証言者とともに振り返っていく、ということだったし(「Art in Context 2008」として少部数出版。図書館やウェブで公開予定)、「批評の現在」と同じく2008年末に参加したcampでのシンポジウムや今年二月の美術犬シンポジウムで話したことも、おおよそここ十年の美術の見取り図を描いて、9.11以降の状況を見通しをよくしたい、という意図に基づいていました。要は、大筋において僕が大学に入った1999年くらいから十年間にわたるゼロ年代の状況確認の感を免れていなかった。


とりあえずは僕個人のリズムとしてなんだけれども、こういう「まとめ」には飽きてきています。むしろ、美術の周辺に関しても、その他のジャンルでも、肯定的に語るべき実践は様々な形で現れてきている。あるいは次の10年を新たな形で見通すための論点は、すこしづつ見え始めてきている。他人からの認識はともかくぼくは作家なので、まずは作品として新たな美術のありかたを提示したいとおもうし、今年度はそういった制作-実践も本気で駆動させたいと考えています。いやむしろ、もはや制作しかない、という気分。僕自身が再起動されたような気分ですし、これはある程度まで状況が要請する必然だとも思うので、こういったことも含め「絵画を再起動する」では議論してみたいと考えています。