11日(祝・水)のシンポジウムに関して、はじめにパネリストの一人でもある批評家の土屋誠一さんからお話を頂いたのだけれど、テーマが「美術」だと聞かされてすこし不安になった。というのも、そんなざっくりとしたテーマで作家やら批評家やらが集まったりすると、グダグダな内輪話、美術業界トークになりかねないので。そもそもぼく自身が、だらだらした話を長時間聞かされるなんてたまんねー、という人間なのだ。どうせならもう少ししっかりと枠組みを決めた方が成功するんじゃないかとも思ったけれど、信頼している方からの話だし、企画主旨を読んで、そのあまりにも直球な議題に託された強い意気込みを感じ、恐れながら引き受けさせていただきました。


とはいえ、どうしたものだろう、基調報告ではある程度これまでの自分の活動もふまえて「美術」っていうド真ん中のテーマに何らか投げ返さないといけないみたい。ぼくは、なにはともあれ自分の活動の紹介ほど嫌なものはないと思ってるので可能な限り避けてきているのだけれど、ここでは部分的にであれ、そこを引き受けないといけないかもしれない。


すこし振り返ってみると、ぼくが京都造形大の学部に入学したのが1999年で、ある意味、多文化主義の波がピークに達していた段階かもしれない。雑誌なんかで「マルチカルチュラリズム」なんて変なカタカナを目にして、なんだこれ、なんて思った記憶があるし。関連する形では社会派アート。川俣正さんや日比野克彦さんなんかが代表する形でワークショップやアートプロジェクトなんて言葉も90年代以降のキータームとして定着していく。このころから村上隆はsuperflatのコンセプトで世界的な展開をはじめていて、GEISAIの前身となる動きと連動したシンポジウム「原宿フラット」(浅田彰×岡崎乾二郎×椹木野衣×村上隆)がおこなわれている。2001年には第一回目の横浜トリエンナーレが開催され、日本での大規模な国際展の動きがスタートする。


こういう、多文化あり、社会派あり、コマーシャルあり、国際系ありの渦中で、なぜかぼくが最も影響を受けた書籍の一つが『モダニズムのハードコア』(編:浅田彰岡崎乾二郎松浦寿夫)だったことは、とりあえず認めておかないといけないのだろう。あるいは『反美学』や『視覚論』(編:ハル・フォスター)。このあたりが、ぼくが学部で読書会をはじめたころ何度もとりあげたテキストだった。いずれも単著でなく編まれたものだったということも、何らかの気分を反映しているのかもしれない。誰かの「この一冊」を読むよりは、こういった形の方がリアリティをもっていたのだと思う。


冷戦崩壊以降のグローバリズムのながれは9.11を経てもなお留まることなく、情報/作品/人的資源の移動を容易にして、日本にコマーシャル・ギャラリーや国際展がかろうじてであれ成立する基盤をもたらした。2000年以降、このおよそ10年間の美術の動向を一言でいえば「コンテクスチュアリズム(文脈主義)の環境化」かもしれないと考えてみた。学校であれどこであれ作品について何かを語る、あるいはプレゼンする上で、この作品はどういう主題で、どういう社会的背景をもって生み出され、作家自身のいかなる経験や出自をふまえた上で制作され、といった作品をめぐるコンテクストの要請が、制作する上でのあたかも自明な「環境」になってきている。環境という言葉には、最近の「アーキテクチャ」という概念の含みもあるのだけれど、もはやそれは求められたり強制されたりというよりも、作家にとっても鑑賞者にとっても、あまりにも自明であるがゆえに不可視の条件として、美術をめぐる思考を規定しているように思う。


たとえば1984年の「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」や89年の「大地の魔術師」なんかにおいては、多文化主義や、あるいはその裏返しとしての植民地主義について議論が可能だったろうし、そういった枠組み、パラダイムを作り出す美術館という場の「構成力」に対する批判も成立し得た(ダグラス・クリンプに代表されるように)。しかし、マルチカルチュラリズム以降、あるいは2000年以降、美術館というアーキテクチャはなにか積極的に言説やパラダイムを作り出すということ自体を放棄して(多文化主義の完成?)、本来、美術館批判としてあり得た、そのパラダイム形成の権力さえもちえず、たんにその都度のトレンドを反映するショーケースと化しているように思う。こういった形で、特に第二次大戦以後アメリカを中心とする近代型美術館が保持してきた言説構成機能が失われていくなか(それはある意味、近代の必然的帰結でもある)、磯崎新が提出した「第三世代の美術館」、サイトスペシフィックな美術館というコンセプトは、こういった文脈主義のながれに対して、その過激なまでの徹底化という形で答えるだろう。


モダニズムに近い言説を選びとってきたぼくは、こういった「コンテクチュアリズムの環境化」に対して、ある意味で反動的に作品の自律性を確保する、という形で答えようとしていたのだと思う。再び磯崎氏を参照すれば『手法が』(1979)の段階で、メタボリズムが社会の中で自動生成する都市のヴィジョンを唱えるのに対して、かろうじて確保される作品の自律性をもって応じる姿勢にも共感できた。あるいはむしろ状況はこの時期の磯崎氏からさらに展開して、コールハース流の社会的プログラミングや反動としてのミニマル系が大勢なわけで、この二重拘束からのクリティカル・ターンを考える方が状況論としては正しい。


ともかく最近は、さすがに自分の作品がモダニスティックだとは到底いえないようなものばかりだという気がするし(モダニズム派には断然、嫌われるでしょうし..)、そのことは必然的にもう一つ方向、つまり文脈主義への居直りでもなく、そこからの反動としてのモダニズムというのでもない、別の方向へとへとぼくの思考を導いているのだと思う。というところで、ようやく今回考えてみたい議論の出発点までたどり着いたような気がするのだけど、もう長いので、打ち切ります(つづく?、時間があれば)。いやそれにしても、何の話しようかなあ..