kosuke_ikeda2008-12-21

今週末はcon tempoにて来客に対応していて、ひとがいない時には火曜日(23日)のシンポジウムについて考えをめぐらせている。
http://www.artstudium.org/2008/session/


別に公表していいと思うから書くけれど、ディスカッションはいくつかのパートと、パートごとの数名の登壇者というかたちで分節化されていて、それぞれに基調報告があり、それを受けて一時間くらいづつ議論を展開していくという形になっている。ぼくの場合、普段何かを専門的に研究したりしているわけではないので、与えられた特定の議題みたいなものがないかぎり、何となくその時々の個人的な関心事に引きつけて話すことになるわけだけど(そしてその話題はごく限られている..)、最近書いていたテキストがおおよそ「美術とアーキテクチャの現在」という感じのもの。これはこないだのChim↑Pomの話題の延長線上で考えていたことでもあり、さらに展開する形でまずは話そうかなと思っています。


ぼくは基本的に、一方で美術の議論を9.11以降の世界状況を踏まえるかたちでアップデートしたいと思っていて、近年の状況との関連(反映であれ抵抗であれ)で現れてきている作品についての関心があり、他方でそういう世界の情報化が進むなかでこそ問われうる美術という歴史性をはらんだジャンルについての関心、みたいなおおよそ二つのレイヤーでものをかんがえていて(この二つがどこでつながるのかは、じぶんでもよく分かってない)、まずはこの前者の問題設定と関連する形で、アーキテクチャ型の管理に対する想像力をもったバンクシーという作家のこころみについて考えてみたいな、と(さいきん「はてな」をはじめた大山エンリコイサムという、とくにグラフィティについて詳しい作家にアドバイスもらったりしてる。http://d.hatena.ne.jp/OEIL/)。


つーか、まだでていない雑誌に書いたことともかぶるのであまりいいすぎるとマズいのだけれど、ひとつだけそのテキストでは紹介しなかったバンクシーの活動のひとつについてメモしておきたい。町中の監視カメラの多さで有名なロンドンを拠点に活動している、グラフィティを出自とするアーティスト(と呼んでいいかと)なんですが、この人は9.11以降、セキュリティの意識が高まり、隙間のないフラット化の方へと向かう世界のなかにあって、ネットと現実双方におけるアーキテクチャに対する想像力を発揮している希有なアーティストだと思います。街の壁面に「この壁はグラフィティ・エリアとしてデザインされています。」とかなんとか、公の機関を装った書体のステンシルで描いて、そのまま放置しておく。で、それを見た他のグラフィティ・ライターたちがそれに反応してタギングを加えてゆき、バンクシーによるはじめの描き込みがほとんど見えなくなるくらいまでタギングが勝手に増殖していく。時に、書き込んだ当人すら予期しないようなリアクションをも生みだしていく。


いってみればこれは、アニメやゲームなんかに対して「フラグを立てる」行為に近いんじゃないかと。フラット化の進む都市のなかに隙間をみつけて、そこからストーリーが分岐していく可能世界を指し示し、そのフラグが他のライターによって覆い尽くされることで「回収される」ところまで含めて自分の作品と考えているわけです。都市に潜在するコミュニケーションのさまざまなパターンを顕在化させるかたちでの作家性、と考えてみたい。そもそもタギングという自分の署名をのこすグラフィティ特有の行為から出発しつつ、むしろ匿名性を強調することによってネガティヴなかたちで署名性を立ち上げていくようなプロジェクトへと至る。この辺りにも、世界のなかに過剰に「現れる」ことを強いる都市のアーキテクチャへの抵抗の作法を見てとれるのではないかと。


これとは別にせっかく近代美術館という場での話でもあるし、議論のながれ次第では、文字通りのアーキテクチャとしての美術館の話題なんかについても考えてみたいところ。ネタバレ注意報、絶賛発令中って感じですが、まあ「ネタバレ過ぎればネタバレ忘れる」って中国のことわざにもあるみたいだし(ウソ)、ディスカッションって用意しているものはことごとく使えないってのが基本なんで、ほんとスリリングな感じです。いやむしろ、発言者のだれもがいまだ考えたこともないようなことがライブで立ち上がればすばらしいけれど。登壇者も多く、あまりひとりが長く話しだすと退屈になってしまうし、そもそも周りがみんなヤバい理論家ばかりなんで(これほんと)、まあどうなることやら。


それぞれの出演者の立場や考えの違いもあるし、議論の齟齬にもなにかしらの真実があると思う、そういう意味では「うまくいく」ことがすべてではないと思うけれど、とりあえずは「うまくいく」ことを目指し、がんばります。批評は、作品と同様、世界の見え方を変えることができると思う。ぜひご期待ください!