con tempoでの展覧会、「arc」展(笠島俊一 下平千夏)の情報をアップしました。
http://contempo.exblog.jp/9586362/

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横浜トリエンナーレへ。内覧会の日にもかるく全体を歩いたけれど、あまりマトモに観ることができなかったのでもう一度。


全体的にいえば、良くも悪くも三回目にしてエスタブリッシュされている感じはあると思う。2005年の二回目の時はアメリカにいたので観てないのだけど。今回のメイン会場のひとつ、「新港ピア」では、一回目の「パシフィコ横浜」会場を思い出していたけれど、2001年が、バッタあり、でかい泥のドレスありだったことをおもうと、基本的に作家ごとに区切られた空間が割り当てられた今回は、どの作家もおとなしくまとまってる感じは否めない。たぶん会場入り口の荒川医+向井麻里とかヨナタン・メーゼとかの散らかし系インスタレーションインパクトをだそうとしたんだろうけど、会場が広すぎて相対的に散らかしとしても中途半端に見えてしまい、単に弛緩しただけに見える。ヨナタン・メーゼの方は、赤いペンキでDictatorship of Artとか書かれてたり、刀を持って大きな鏡に見入るヒゲの男(おそらくアーティスト自身)の写真があったりで、「ドイツって大丈夫かよ..」とか思う。


(入り口ついでにいえば、日本郵船海岸通倉庫の方の会場の、これまた入り口にあるヘルマン・ニッチュというのは、アナ・メンディエタをカルト集団的に展開したような感じで、最悪。今回の横トリはパフォーマンスっていう要素を切り口にしていて、ライブ的なイヴェントを数多くやっていたりというのはいいと思うんだけど、ヘルマン・ニッチュとかは、いわゆる身体系のいちばん悪い部分だろうと思う。)


むしろ美術っぽい人より、音楽を用いつつコンセプチュアルな仕事をするケリス・ウィン・エヴァンス、トニー・コンラッド小杉武久なんかがいい仕事をしている。特にケリス・ウィン・エヴァンスは、スピーカーが内蔵された円形の鏡を数多く吊るしてインスタレーションを構成。複数の鏡が揺れながらお互いを映し出すことで複雑な空間の中に鑑賞者を導きつつ、それぞれのスピーカーが微細な音を発することで聴覚的にも錯乱させる。視覚・聴覚を同時に複雑な空間の中へ誘う。(ペデロ・レイエスマルクススターリンレーニンゲバラをモチーフにした「ひょっこりひょうたん島」的な人形劇「ベイビーマルクス」の音が乱入してる気もするが、それはそれでいいか..)


若いアジアのアーティストの、どちらも映像作品だけどツィ・クァンユーやティム・リーの作品は、どちらも身体というメディアを映像の構造(特に時間の問題)に巧みに取り込んでいてコンセプチュアルかつユーモラス。日本郵船海岸通倉庫の三階(?)あたりでアブラモビッチマシュー・バーニー、ポール・マッカーシー、ダグラス・ゴードンらビッグネームに囲まれていたロドニー・グラハムというカナダ人アーティストはマンゾーニとナウマンを足して割ったような感じで面白い。写真作品「山積みのポテトでスタジオに入れない」、傑作!むしろ、先のニッチュにはグラハムの映像「銅鑼にポテトを投げあてる」を対峙させて相対化しておけばよかったろうけど。


中谷芙二子内藤礼、ティノ・セーガルなんかが期待される三渓園には今度また行くつもり。