フェルメール展/東京都美術館

東京都美術館にてフェルメール展。

フェルメールが七点見られるというのがウリな訳だけれど、中心的な扱いだったはずの≪絵画芸術≫(ウィーン美術史美術館)が出品中止になっているのはさすがに残念。メトロポリタン美術館にある《リュート調弦する女》のような、フェルメール作品の中でも最良のものを改めて見られるのはいいとしても、主役不在の感は否めない。


とはいえ、展覧会の構成としては、17世紀オランダの建築室内画や、同時代のファブリティウス、デ・ホーホといった画家たちとの関連においてフェルメールを見せるという、なかなか真っ当な形であることは啓蒙的でいいと思う。特に、画面構成やモチーフに親近性を見せるデ・ホーホ作品が、絵具の扱いにおいては固い細密描写+レンブラント的マチエールのエッジで出来ているのを思えば、フェルメールと同時代のオランダ画家との差異は明快になる。


むしろ今回、衝撃だったのは、七点のフェルメール作品を見おえた後、さらに順路が上の階へと続いていて、まだ何かあるのかな、と思っていたら、フェルメール全作品の実物大パネルがひとつの壁面に並べられている光景だった。周知のようにフェルメール作品は現存するものが少なく、(怪しいのも含め)30数点しか世界中に残っていない。現存する全作品が、しかも実物大のものが、さして大きくもない壁面ひとつにまとまってしまう。そんな数少ない作品をして、美術史上最大の巨匠の一人として扱われていることを思うと、なんだか不思議な感覚。


こないだの芸大でのレクチャーの時も軽くふれたことなのだけど、フェルメールという作家はやはり、そうやって全パネルを並べてみたくなる理由を、その作品の内に含んでいるのだと思う。それはまた次に時間がある時に。

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