上映会のおしらせ(6/22)

con tempo プレオープニングイベントのおしらせ。
断片的に見せてもらいましたが、なかなか面白そうな作品です。ぜひ足をお運びください。

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映像の身体、身体の映像4.1「彁 ghosts」
2008年6月22日 19:00 上映
於 con tempo(北千住)
入場無料
協力:池田剛介、おっとり舍
MAP:http://ottr.web.fc2.com/contents/access.html


上映作品「彁 ghosts」
制作:佐々木友輔/50分/2008年


ほんとうに生きるとはどういうことなのだろう。見ることが生きることであるような「見る/見せる」が、はたして可能なのだろうか。映像を、幽霊たちを、切り 刻むのではない。むしろ様々なかたちでそれらを出会わせたり、つなぎ合わせたい。それらを過去の記録としてではなく、現在の出来事として見せる/見ることができたならば。


映像から伝わってくるのは、制作者のそうした意気込みというよりは、幽霊たちの静かで賑やかな、ひとつの思いに結ばれた りすることのないお喋りである。制作者自身の「すべて」が込められていながら、それらが彼の「過去の」ではなく「現在の」という意味になるような幽霊たちだからこそ、観者の現在となり、彼らの過去や未来ともつながっていく。
映し出される幽霊たちこそが、世界への驚きであり、感謝である。世界の豊かさに気づいていくときは、地面に這い蹲って季節の匂いを嗅ぎ、素足に水を、土を感じ、頬に風を受けながら自転車のペダルを漕いでいるときである。
日常のたわいのない会話が音声として拾われても、モノローグは文字としてのみ映される。けっしてナレーションにはなるまいと、どこかで踏みとどまるように、差し挟まれている静止画は、制作者の生の声から距離をとろうとする映画自身の意志の現れのようでもある。


『夢 見るように眠りたい』(林海象)や『しあわせ』(クロード・ルルーシュ)というような映画がふいに頭をかすめる。他者の(撮った)映像を、他者の見た夢を、追いかける映画。そして夢からの覚醒という夢からの覚醒。映画を作ること、映像を残すこと。世界は、現実は、死につつある。見ることは、すでに死につ つあるものを、その死を、むしろ見つめまいとすることなのだろうか。そうではあるまい。出来事を次から次へと過ぎ去ったものにしていく時間との鬩ぎ合い。 夢のなかへと溶融した現実を、目覚めることのように編集し直してみること。(寄稿:m-takeda/「And Then > M's memos」blogger