校正とか発言とか

ある雑誌の企画で収録した座談会記録の校正。


実際には3,4時間くらいの、いろんな意味でなかなか大変な議論だったのだけれど(基本たのしかった)、構成され、まとめられた文面でみると、とてもすっきりとした仕上がりで、そのギャップに驚く。考えてみれば自分でも誰かにインタヴューして、相当まとめた形で文章にしたりしてるわけだから、同じことのような気もするけれど、自分の発言が編集されて文面化されるというのは、こういった「ちから」が加わるものなのだと実感。それでもさすがに、自分の発言として出てしまうわけだから、最小限の形で手を入れる。


よく言われることだけれど、特に日本では、美術作家が自分の作品に関して何かを発言するということに関して、どこかナーヴァスにならざるを得ない環境にあると思う。(というか、リスクすらある!)僕が思うに、たぶんそれは、日本では作家が何かを語るということに関する機会が少なすぎるからで、むしろもっとその機会を増やしていけば、何かを発言するということに関する付加が分散されるわけだし(って考えでいいのかな)、で、結局長い眼で見れば、文化を豊かにしていくことにつながるんじゃないかと思う。まあそれには、いろいろと困難もあるわけで、ぼくはできる範囲のことをやってるに過ぎないわけだけれど。