芸大 先端科のこと

ぼくは今年1年、非常勤講師として東京芸大先端芸術表現科M1必修のプログラムを他の先生方とともに担当していて、先日、新大学院生たちによる、作品プレゼンをはじめとした自己紹介を聞いてきた。ちょうど5年前の2003年に、ぼくは同科の大学院に入学したわけで、そのあたりことをあれやこれや思い出していた。


5年前の2003年は大学院ができた最初の年で、外部からの入学が大半を占めた大学院生たちばかりでなく教員もまた、多少の緊張感をもって未知のプログラムを手探りで進めていくのだ、という空気に満ちていた。(なんだか歴史の話のようだけれど)当時は、川俣正さんが学科長、藤幡正樹さんはじめ、特に欧米での経験が豊富な教授たちが陣取り、それぞれの教員らが屈託なく研究室の枠も関係なく、言いたいことを学生の前で言い放ち、そこから双方向の議論をはじめよう、というリベラルな雰囲気があった(時にそのリベラルさは、あからさまな攻撃性にも転化しうるわけだが)。


当時のぼくは、取手という僻地でそのような古き良きリベラリズムの理想を模索しようとする空気を楽しんでもいたけれど、同時に、その理想の実現の困難さに警戒心も持っていたように思う。なんだかんだと果てのない議論をして、あてどなく悩み、そのぬかるみの中からまた言葉と作品を探り当てるよう要請される。そんなことをやってても、結局二年後には院を修了して、現実のなかに放り出されるわけで、何らかの成果を持っていないと、生き残っていけるはずない、と。ネオ・リベラリズムアメリカ化)の波は確かに切迫したものとしての実感があった。


ボストンという、アメリカの中でもどちらかといえばヨーロッパ寄りの地に留学できたぼくは幸運だったのか、どうなのか。周りの友人、学生たちも、ニューヨークなどの喧噪を横目で見ながら、それとはすこし距離を置いて、それぞれの仕事に時間をかけて向かい合っているように思えた。(ぼくのルームメイトの一人のイタリア人はフランスの大学を出たあとでハーバードでポスドクで働いていたが、彼はヨーロッパの古いリベラリズムにはわりと批判的で、フランスの研究者の多くがいかに腐ってるかをぼくに話して聞かせた。彼にとってはアメリカ的なネオリベがある程度は必要だという立場のようだった。)


そうして、いま先端科のようなところに戻ってみて、この科が目指していた(目指そうとしている)方向の重要性を、5年前以上にクリアに感じることが出来る。いくつかの私立大学(と、某都立大学も)の動向を主な駆動力として席巻するネオリベという成果主義の波は、芸術大学のありようとも無関係ではない。学生は誰よりヴィヴィッドにその流れを直感し、形ある、目に見える成果の提出へと奔走するだろう。むろんそんなの空回りするか、一瞬、認められたとしても、すぐにまた飽きられて、別のものを要求されるに決まっている。それが資本主義なのだから。学外では、コマーシャルギャラリー、アートフェアやオークションといった華やぎへの誘惑も強くなっている。


1999年、ヨーロッパ的リベラルからもアメリカ的ネオリベからも遥かに遠く、東京芸大が抱える旧態依然たる封建主義(とても大ざっぱな区分に過ぎないけど)をある種の仮想敵として打ち立てられた先端芸術表現科が抱えていたリベラリズムの理想は、いま、ネオリベが席巻する<帝国>化の流れの中にあって、ある種のアナクロニズムを伴いつつ、むしろ、設立当時以上に貴重なものとして、その存在意義を増しているんじゃないかとも思える。世界がアメリカ化、<帝国>化を押し進めておく状況でこそ、そのような流動性から一歩身を引いて、世界の有り様を客体的に把握し、その荒波の中で(あるいは外で)生き抜いていくための基礎体力、基礎教養を時間をかけて醸成していこう、という態度(そんな悠長なこといってられるのは国立大学であるがゆえにだ、という矛盾はあるだろう。でも、そもそもヨーロッパのリベラル自体が同種の矛盾を内包してるのだ)。川俣さんが抜けたあと木幡和枝さんを学科長とした先端科は、昨年度もクシシュトフ・ヴォディチコ講演会やアントニオ・ネグリ招聘など、先進性・国際性をもった企画を推進してきた。


教員も学生も対等に、共に芸術に関わる人間として意見を交換し、それらの差異の中から合意を形成し、互いの認識を広く、深いものとしていく。そういった理想が時に古くさく、時代の流れに見合っていないもののように思える可能性はある。でも、そういう時にこそ、安易なネオリベ化や、ネオリベの衣を纏った封建主義、あるいは剥き出しの権威主義などへの反動を回避する必要があるのだろう。取手という、先端芸術表現科という名に似つかわしくない立地は、むしろ<帝国>的流動性から一歩離れた場所として、有効性を持つのかもしれない。


母校を理想化しすぎてるってだれかから怒られるかもしれない。所属した途端に、組織をホメだすというのも、なんだかな、っていう。まあ、愛憎入り交じる母校への「憎」の部分を徹底的に抑圧して書いてます(たまにはそういうこともする)。実情はもっとサツバツとしてますんで、悪しからず。だた、こういったことを無責任に書いているようで、ぼくごときですら、実際には学生の頃のようには無責任でいられないんだな、という実感が突きつけられている。逆に言えば、学生はある意味で無責任な立場であることを大いに利用してほしい、というか、そうすべきだと思う。一年間、片足だけ突っ込む形で、先端科大学院の行く末を見届けていきたい。