内海聖史<色彩に入る>をめぐる_3

先日、カントを引いたところで書いたように、「京都の紅葉は美しい」というのはおおむね万人によって認められている。では、そのように美しいとされる京都の紅葉がそのものとして芸術かといえば、そうではない。だとすれば、一定の共通感覚によって支えられた「美しい」という、ある程度普遍的な判断に基づいて「故に、それは芸術である」ということは簡単にはできない。あるものが「美しい」という判断は、それが「芸術」であると認められる際の十分条件ではない(こんなうっとうしい言い方しなくても、今更、当たり前だ)。


このような「芸術」なるものの判断に関するティエリー・ド・デューヴの議論を確認したい(『芸術の名において』)。芸術の歴史とは法廷そのものである。この場において、過去に芸術であると認められてきた作品群はいわば、積み重ねられてきた判例として機能する。歴史(美術史)という名の法廷における裁判官としての鑑賞者は、これまで「芸術である」と認定されてきた作品群を基に、いまここで新たに法廷に持ち込まれた作品が芸術であるか否か、判断する。ここでの判例はしかし、判断に対して重みとしては存在するが、それに完全に従わなくてはいけない訳ではない。鑑賞者の判断は、つねに判例とともにある、しかし、そこでなされる判断を先験的に限定する事はできない。むしろ近代以後、ある作品が芸術であると呼ばれる条件は、過去に積み重ねられた判例を決定的に裏切り、新たな判例を生み出す事にある、と。


このような「判例」なるものを、(ド・デューヴ自身が意識しているように)カントの「共通感覚」と重ねて考えていい。「ダ・ヴィンチは芸術だ」、「モネは芸術だ」。これは、永遠にかどうかは定かでないとして、現在おおむね共通感覚として認められている。重要なのは、少なくとも近代後、このような共通感覚によって認められた美的判断によって「美しい」と認められる作品は、どうやら「芸術」足り得ないということになっている事だろう。ド・デューヴ的にいえば、多くの判例を基に「いや、これは芸術ではない」と判断された作品のみが、やがて芸術なるものの判例として登録される。共通感覚を裏切り、それをバラバラに分断して、新たな共通感覚を再構築する所においてのみそれが芸術と名指される資格を持つ、近代はこのような「芸術」という名を巡るノミナルなゲームを続けているというわけだ。


ずいぶんと寄り道をしてしまったかもしれない(うまく着陸できるかどうかは、まだ分からない)。僕は、「日を浴びた木々が美しい」というのとほぼ同レヴェルで、内海氏の作品は美しい、と書いた。つまり、多くの人々がすでに持ち合わせている共通感覚の基に、それを美しいと感じる、というか感じざるを得ないだろう、という意味だ。だとしたら、ここにはそもそもド・デューヴ的な判例への裏切りがまるでない、やんわりと共通感覚を肯定するだけのものだったのかどうなのか、ここが問題となる。(続く)