aiko「気付かれないように」

遅ればせながら、しかし心して、aikoのニューアルバム『彼女』を聴いた。


このアルバムの性格を決定づける曲が、二曲目に配される「気付かれないように」だろう。aikoの歌詞は男女の恋愛をモチーフにしたものが大半であり、とりわけ女性の側の感情に焦点が強く当てられる。この曲は、そのような題材を踏襲しながらも、特に明白な場面設定、物語設定において他の曲よりも際立っている。「久しぶりに逢ったあなた」と共に歩きながら「色んな事」を聞き出そうとする。「あなたの指輪」に戸惑いつつも、今の「彼女」のことを問いかける。


まず不思議に思うのは、冒頭


「久しぶりに逢ったあなた 照れ隠しに髪を触った
よみがえってくる思い出が 溢れぬように大人ぶって」


とあるのだが、逢った際「照れ隠しに髪を触った」のが「あなた」なのか「あたし」なのかが奇妙に宙づりにされている。「あなた (が)照れ隠しに髪を触った」ともとれるし、「(「あなた」と逢った「あたし」が)照れ隠しに髪を触った」ともとれるだろう。(*1)このような、非決定的なものをめぐって物語は構成される。どこにその行動の起因(意味)があるのか、その所在が決定され得ないような身体的反応の周辺にある、微細な感情の揺れ。


「声を聞いて泣きそうになるけど 何故だか解らない
もう戻れない悲しみなのか出逢えた喜びなのか」


というように、即物的に「泣きそうになる」が、しかしそれを引き起こす感情の所在が「戻れない悲しみ」なのか、あるいは「出逢えた喜び」であるのか、この二者のどちらにあるのかが分からない、言い換えれば、涙が流れるという身体的な反応の、その起因となるべき理由(あるいは意味)がここでは失われている。


もちろん「あたし」はそのような「泣きそうになる」反応に対して意味を求めるべく「急ぐつもりはないのだけれど色んな事」を聞こうとするだろう。「あなたの指輪」にも「戻れない悲しみ」の側の兆候を見いだそうとする、細部が意味を帯びようとする。


「勇気を出して笑って問いかけた 今の事 今の『彼女』
すごく好きだよと照れて髪を触る 昔のあなたをみた」(二重括弧は引用者による)


唯一、このアルバムの中で「彼女」という語が現れるのがここなのだが(たぶん)、ここの「彼女」もまた"girlfriend"という意味でも、あるいは特定の誰かを指し示す"she"という意味にもなり得る。同様に、「あなた」の「照れて髪を触る」仕草に「昔のあなたをみ」るのだが、このような「昔のあなたをみた」という観察が「戻れない悲しみ」を引き起こすのか「出逢えた喜び」となるのか、少なくとも聴者にとってその決定は不可能、あるいはそのどちらともとることができる。


「気付かないように 気付かれないように」というフレーズが三度現れるのだが、先に見てきたような一義的な意味に回収されない感情の束の位置をみごとに言い当てている。いわば「気付く」というのは「意味を決定する」という事とほぼ同義なわけだが、ここでは「あなた」に「気付かれないように」振る舞い、「わたし」もあえて「気付かないよう」な立場を保持しようとする。そこには、「あなた」と会った際の身体的反応の根拠を「(戻れない)悲しみ」や「(出会えた)喜び」といった単純な意味付けに回収してしまう(されてしまう)事への恐れがあり、むしろそれによってとりこぼされ得る微妙な感情の振れ幅が非常に繊細に描き出されている。


こういう曲と出会うと、良い作品の条件というのは音楽でも美術でも変わらないのだなあ、と思う。例によって出典はhttp://pinkheart.jp/i/kizukarenai.html

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[*1] 後半に「あなた」が「照れて髪を触る」ことから、実際はここでも「あなた」が「髪を触った」と考えるのが妥当なのかもしれないが、少なくともこの曲をここまで聞いた段階では、それがどちらの主体によってなされるものなのか決定できない。


追記:この曲についてはhttp://d.hatena.ne.jp/kosuke_ikeda/20061217で再び書きました。