aiko『彼女』、そのタイトル

ついこないだ、茅ヶ崎で行われたaikoのフリーライブ"Love Like Aloha 2"へ行って来た。終了直前に雨が降り出し、なかなか神秘的で印象深い。
それはそうと、実はまだ、aikoのニューアルバム『彼女』を聴いていなかった。なぜなら、タイトルを見ただけで、これが名盤であることは明らかだからだ。


アルバムというものはまず、フレームである。それぞれの独立した曲を、より大きなフレームのなかに収める為の容器であり、そのジャケットやタイトルを通じて、それぞれの曲の順序を決定し、個々の曲で歌われる個別の物語を、明に暗に統合する装置ともなる。今回のタイトル『彼女』はこのような、アルバムの機能に対して非常にチャレンジングな態度を表明している。


まずはじめに「彼女」という語、これは考えてみれば非常に奇妙な語ではないか。それはまず「彼」や「あなた」「私」や「彼ら」のように指示代名詞として認識される、つまりsheと翻訳できる。と同時にこの語はgirl friendという一般名詞にも成りうる。ここで思い出すのは言語学者ロマン・ヤコブソンが提起したシフター(shifter)という概念である。ソシュール的に言えば、言語は一つのシステムにおける差異の体系なのだが、ヤコブソンはシフターにそのようなスタティックな言語の体系を突き崩す契機をみようとする。つまり、「私(I)」や「彼女(she)」といった語は、話者が話すコンテクストの中でそのシニフィエがその都度、決定され、そのコンテクストが変わればその指示代名詞によって指される対象も、また変化してゆく。つまり言語の体系内でのみ、その後が機能するのでなく、その外部の状況を反映しつつ意味をシフトさせてゆくものなのだった。タイトル「彼女」は、すなわち、スタティックな言語体系内にありgirl friendを意味する「彼女」と、その外部性を取り込み常にその意味を変容させるsheとしての「彼女」と、この二つの意味を孕みつつ言語の体系を自由に出入りするだろう。このような効果は唯一「彼女」という語にのみ内包されているように思われる、つまり「彼」や「あなた」「私」や「彼ら」ではありえなかった。