ホンネな人たち

帰国して日本のテレビを見ているとかなりも違和感に戸惑ってしまう。「踊る!さんま御殿」になんとかっていう美容研究家と称するおじさんがでてて、いわゆるオカマっぽいキャラでその場の楔役になっていた。さんまもそれを理解してパスを出すし、中尾彬はそれを拒絶する方向で自分の位置を立てようとしていた。さんまの視野の広さと瞬発性が存分に楽しめるので、この番組は好きなのだが、こういうキャラが登場した途端に、さんまはここぞとばかりに消費しようとするし、(彼の存在の位置を直感的に理解できる)他の出演者、あるいはカメラや音声もそれに乗っかりだすので、全体のトークの構造が単調になりつまらない。

まあ、それはいいとしても、こういう単純なオカマキャラみたいのが(一瞬とはいえ)未だに成立するというのに驚く。アメリカではこんなにあからさまにゲイを気持ちの悪いものとしてテレビで扱ったりすることは考えられないだろう。逆にいえば、キリスト教的な同性愛嫌悪が根深くあるからこそ、それを理性あるいは制度としてのPCのレヴェルで徹底して守る、という意識がある。

もう一つ、同じようなことでいえば、坂東眞砂子の「子猫殺し」の記事だった。まあ要するに、避妊なんてのは猫の死という暗部を見ないための偽善的行為なのであり、むしろ私はその死や殺しを正直に引き受けて見せるのだ、またそれを正々堂々と新聞で公表して見せるのだ、ってなことなんだろうけど、こういうホンネ主義というのも、この国の兆候の一つだと思う。議論としては、先に挙げた理由が一つ、でもう一つの理由は、この人は今タヒチの田舎に住んでいて、動物の死骸なんてそこら中にあって、そこで生きているリアリティに基づけば、猫殺しも自然なこと、むしろそのリアリティに対してホンネで生きているのよ、ということ。しかし、そもそも、そういう日常的なリアリティ、あるいは慣習に対して客観的な距離をとり、批判するものこそが知性であったはずなのだ。もちろん避妊手術はある意味で偽善的だろう、でもその偽善のほうが動物にとっても人間にとってもまだマシである、っていう理性的判断ができない、っていう状況に唖然とするのだ。

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しかし、毎日、暑い。