ワシントンDCへ

朝からバスに乗り、DCへ。三ヶ月前にナショナルギャラリーのセザンヌ展が目的で行ったのだけれど、今回は同会場の「ベリーニ・ジョルジョーネ・ティツィアーノルネサンスヴェネツィア派の絵画」展を中心に。


今、ティツィアーノと書いたけど英語ではTitian(ティッシャン)で、そういえばフェルメールはVermeer(ヴァーミアー)だし、スルバランはZurbaran(ザーバラーン)だし、セザンヌはCezanne(セザン)だし、アンリ・マティスはHenri Matisse(ヘンリー・マティス)だし、ちょっとこれ以上パッとは思いつかないけど、とにかく日本語と英語とでは読みが違うものが結構ある。脱線するけど、こないだ僕の展覧会に来てくれた脳科学を研究しているドイツ人と話していて超越的と超越論的はどう訳し分けるのか分かんなくなって、その場で電子辞書を引いて、ああtranscendentとtranscendentalだったー、と思い出した。こういうのはとにかく、その場で調べて覚えてしまうに限る。


お昼に到着し、そのままナショナルギャラリーへ。予想通り、充実した展示で満足した。まあ、アメリカでヴェネツィア派をみるのってどうなの、っていう意見もあるだろうけど、たとえばヨーロッパの大きな美術館や教会とかだと、あまりにもいろんなものがごっちゃにあり過ぎて、集中して一つ一つの作品を見る,という事をしにくいのではないか,という気がする。とりあえず、それぞれの作品を切り離し、ニュートラルな空間に展示しなおす事で見えてくる事も多いのだ。美術館の制度性がどうのとが、未だに言いたい人がいるのなら勝手にどうぞ,という感じ。良い作品は、場所的なコンテクストに依存しない、独立した力を持っている。