ポストモダンなサッカー

■展覧会準備という事も含め、明後日からしばらくニューヨークに移動する事になっていて、その準備やら大学での仕事を片付けたりやらで忙しい。そんな中、僕がインターンをしているリスト・ヴィジュアル・アーツのすぐ上にあるメディアラボの大きなテレビでブラジルー日本戦をやっていた。ずっと見たかったけど、仕事に追われていてそれどころじゃなく、時々二十分おきくらいにチェックしにいく,という感じでみてた。前に書いたけれど、今回、ほんと自分としては盛り上がるタイミングを逃してしまっていて応援もそこそこになる。というか、圧倒的な実力の差がでていて、見ていて少し痛々しかった。


日本代表のメンバーをみたら、出場している中の6、7人くらいは海外のクラブチームに所属しているようだ、これは四年前とくらべてもかなり増えてるんじゃないかと思う。で、負けた後のインタヴューでジーコが言ってたみたいだけど「海外でやってても、レギュラーとしてやってるヤツは少ない」と。それは確かにそうだろう。日本で代表になるまでに経験を積んだ選手が、それから海外に出て、全く新たな環境でプレイする事の難しさはちょっと計り知れない。レギュラーになるためにはそのなかで目立つだけのアピールをしなくてはいけないわけだし、言葉が不完全であればどうしても萎縮してしまう感じはよく分かる。


今回のことは(見ていないので)よく分からないけど、少なくとも二、三年前の時点では、僕は代表での中田英寿はあまり機能していないんじゃないかという気がしていた。というのも中田がでるとチームに中心性が生まれてしまって、攻撃が単調になっていたから。と同時に、中田個人(とくにフィジカル)の能力の高さ、ということはもちろんあるわけで、要するに全員が中田くらいの能力と存在感を持つようになる事、そういう個人能力のアップからしか、もう根本的なレヴェルアップは出来ないんじゃないか、ということを痛感させられた。美術理論的に言えば、今は具象的な中心人物の目立つモダン以前であって、さしあたりもっとオールオーヴァーな、中心性のないモダンなサッカーを目指すべきだと思う。で、もう一歩先へ進むためには、様々なプレイヤーが瞬時的な中心性を持ちつつ、すぐさま消え去り、中心がどんどんズレて行くような運動性の中でプレイできればようやくポストモダンなサッカー,という事になるはずだ、ってほんとかな。まあさしあたり、四年後はモダニズムってことで。