ナショナルギャラリーで見かけた美術教育(四択問題付き)

kosuke_ikeda2006-05-17

昨日に続き、ワシントンのナショナルギャラリーで見かけた美術教育について。現代美術のコレクションを展示している東館にて僕がピカソのギターのコラージュを見ていたら、インストラクターに引き連れられて15人くらいの子供達が入ってきた。二人一組になって、それぞれが一枚の絵の前に向かい合って立つ。絵に向かい合っている一人が、それに背を向けているもう一人に対して、どのような絵なのか説明させる。フォーマリズムの基本中の基本、ディスクリプションを学ぶ。方法として巧いな、と思うのは、絵の前に向かい合わせに立たせて、一人は何も見えない状態なわけだから、完全に情報の差がそこで生み出されて、見ているものはその落差を埋めていくかのように絵の記述ができる。そこにある差異が、作品を見る者から巧く情報を引き出す事になる。


僕が思い出す限り、日本の美術の時間ってほとんど工作と同義で、中学・高校のレヴェルでも何かを描いたり、作ったりという事ばかりやっていた気がする。京都にいたのに、授業で何かを観に行ったりした記憶もない。とはいえ、そもそも時間数の少ない美術の時間なんかに見学にいくのはムリだという事情もあるのだろう。いずれにせよ、美術教育において、作品を「読む」ものとして扱うということ、これに対する意識は全く感じられなかったように思う。例えば国語だったら小説を「読んで」四択問題に答えさせたりするわけだし、それと同じ次元で扱ってもいいんじゃないか。「なんだかいい感じでした」とか何とか、印象批評とも呼べない感想文を量産している美術ジャーナリストだかも、まずはここから始めるべきではないか、と。


というわけで四択(大人用)

下の三つの言葉はいずれもある芸術家によって述べられたものですが、ひとつだけ他の三つのそれとは違う芸術家によるものがあります。以下の四つの中から選択しなさい。


A、1センチ四方のどんな青も1メートル四方の同じ青と等しく青くはない。
B、だれかが巨匠の真似をするとき、巨匠のテクニックは模倣者を窒息させ、その周りに彼をマヒさせる防壁を作り出すだろう。
C、色にとって最も重要なのは関係である。それによってこそ、実際の色の必要なしにデッサンは強く色づく。
D、リズムだけが現れる、面を「何もないもの」として置き去りにしつつ。





答えは二十年後に。