セザンヌ展へむけて

11日の日記にて書いたけど、セザンヌ展の原稿にためのヴィジョンが見え始めてきた。制作の合間にパラパラとriffle throughしながら、それでもなかなか集中して考える時間は取れなかったのだけど、今日、というか五分くらい前に意を決してサント=ヴィクトワール山について書く事にした、というのにボストンは今週ずっと雨模様らしい。


というか、書くぞと宣言しておかないと取り組み始める事ができそうにないので。連作の問題とか前景・後景の問題とか、いろいろボンヤリとではあるが考えている事があって、何とかそれをまとめておきたい。セザンヌの風景ではめずらしい、縦長のサント=ヴィクトワール山も見る事ができたのでそういう事も考えつつ、セザンヌマティスが一点で繋がる伝説の1906年にも触れておきたい気もする、ちょうど100年前だし。ってここまで書いて、何にもまとまってないんじゃんってことが判明してきた。この一週間でバシッと仕上げちゃおう、どうせウザッタイ雨の日が続くんだから。


そういえば以前、ちょっとした美術関係者っぽい人に1906年のフランスの重要性を話してたら、「まあフランスって1920年代が最も盛んだったって言われてるけどねえ」とか何気なく言われて言葉を失った。まあ、そういう人って教科書とか講義とかで「今世紀フランスでは1920年代が最も盛んだった」と伝えられたのをそのまんま言ってるだけなんだろうけど、こういう素朴さを前にすると、それまで僕が話していた1906年が何も伝わっていなかったという事がありありと分かってしまうわけで、何というかとにかく恥ずかしかった。何が恥ずかしかったのかは分からないのだけど、その原因が判然としない恥ずかしさ、ということで余計にそのことを覚えてしまっている。