アイロニカルな人たち

僕はアイロニカルな人の事がよく分からない、特にそういうのを十年も二十年も続けるというのはどんな気持ちなのか。そんな事を思ったのは、(何でこんなものを見つけたのかすらも分からないけれど)山下裕二の「真面目にふざける小沢剛」っていう文章を読んだからだ。http://www.kamada.co.jp/ss/ss_p1.htm 小沢剛という人のことは日本の現代美術に詳しい人しか知らないだろうけど、昭和40年会というグループの一員で、そこには明和電気の人とか会田誠とかいう人がいる。で、これは僕は知らなかったのだが、そこの会長の宣言として「オレたちは昭和四十年にうまれた。ただそれだけだ」というのがあるらしい。まあ、この宣言文からしてアイロニカルな二重性があるのは分かるのだが、「ある特定の時期に生まれた,ただそれだけ」という宣言が逆説的に「にもかかわらず、みな同じようにアイロニーの人なんです」という事実を際立たせているのが面白い。なんだかそれってとても「素直」に時代的な規定を受けて「素直」にその要請に答えているようにしか思えない。


そのような「素直さ」とは違う意味で山下裕二は40年会の人たちは「真面目」であり、「真面目にふざける」のがすごいのだ、と言うのだけれど、つまりふざけているのにもかかわらず真面目な顔をしてその行為を二重化する、というその態度こそがアイロニーの典型なので、それこそ何の謎もない。山下裕二という人はそもそも雪舟などの「正統」な美術史研究をしてた人で、それはそれで重要なのだが、最近は研究に疲れて、現代美術の人たちと仲良くしたい気分みたいだ。僕が東京国立近代美術館RIMPA展を批判したときに『美術手帖』の展覧会小特集の一部で会田誠と対談をしていて、さすがにどんな内容かなんて覚えてないし、アメリカにいてチェックできる訳もないのだけど、面白かったのは、山下裕二アイロニーの画家、会田誠に対して軽い話で茶化そうとしているのに対して、むしろ会田誠の方が「最近、北澤憲昭さんの本を読んで、日本画を考え直してます」みたいに、真面目にふざけるんじゃなくて、真面目に真面目な事を言ってて、感心した。


で、ついでに昭和40年会のホームページをのぞいてみると、小沢剛ニューヨーク日記というのがあって、そこの一番上の所で、小沢剛イラク戦争反対デモに参加して、翌日日本人の知り合いに「デモには何をしに行ったんですか?」とか言われ、日本人の問題意識の低さに呆れたとか何とか、これまた真面目に真面目なことを言っていて、彼らの態度もようやく変わってきたのかな、と思う。で、そんな中、美術史研究に対するアイロニカルな構えのつもりの山下裕二が一人、アイロニカルなまま取り残される,という事になる前に、はやく真面目に真面目な研究を再開してほしい。