ブログに引っ越し、ついでにaiko

■僕は自分のホームページをDream Weaverというソフトで管理しているのだが、どうもこいつの調子が良くないみたいなので、とりあえず、はてなダイアリーとやらを試してみようかな,と思う。考えてみれば随分と長い間、同じデザインで日記を続けてたわけだから、変更にはまだ違和感があって、まあでも自分のホームページを更新していくよりラクだということは聞いていたので、こちらに移してみる事にしました。まあ、これまでと同じく、ロクでもないことしか書きませんが。


■せっかく場所も変わった事だし、気分を変えてaiko分析、って前からやってたことだけど。
以前、「キラキラ」に関して


「羽がはえたことも/深爪したことも/シルバーリングが黒くなった事も/帰ってきたら話すね」というフレーズ。この部分がどうも意味が分からないと思わせる理由は「羽がはえ」るという非現実的な事象と「深爪した」という現実的な事象、そして「シルバーリングが黒くな」るという、いわばその二者の間にあるような(非)現実的な事象とが「帰ってきたら話す」という一つの地平に無理矢理収められていることによる。つまり、「アンドロメダ」では複数の感覚の引き裂かれが歌われていたのだとしたら、「キラキラ」では複数のレベルにある事象が一つの行為によってシュルレアリスティックに統合されようとする事による不安が現れているのだ。しかもそのようなフレーズの後「その前にこの世がなくなっちゃってたら/風になってでもあなたを待ってる」と。言うまでもなく、「この世がなくな」っている状況で、もはや「話す」相手の存在がなくなっていないことは考えづらい、にもかかわらず、対象を失った「待つ」という行為は自動化・永遠化され「風になってでもあなたを待ってる」ということになる(火の鳥「未来編」のマサトのよう)。このような目的を失った自己完結性は意外と本家シュルレアリスムにおける一つのテーマだったりするんじゃないか。(Nov 15,2005)


と書いたのだけど、実はこの作品に通底するシュールはそれだけに留まらない。まず冒頭、「待ってるねいつまでも/今日は遅くなるんでしょう?」からして、すごい。「待ってるねいつまでも」に引きつけられるように「遠い遠い見たことのない 知らない街に行ったとしても」「風になってでもあなたを待ってる」というように距離的・時間的隔たりを感じさせる詩がその後多く現れる、にもかかわらず、「今日は遅くなるんでしょう」というフレーズは、その距離を何度となく日常的なものへと引き戻すだろう。そのような、対称的な印象をもたらす要素の併置は次の箇所に端的に見て取れる。


第二のサビ部「雨が邪魔しても/乾いた指先に残る/あなたの唇の熱/流れた涙が冷やした」。この連なりはどのように分節化すれば、歌詞の意図が汲み取れるのだろうか。例えば「雨が…」部分を省略して「乾いた指先に残るあなたの唇の熱(を)、流れた涙が冷やした」としてみれば、十分に意味は通る。しかしその前に「雨が邪魔しても」を挿入した途端に、このブロックは意味をなさなくなるだろう。例えば、「雨が邪魔しても」という条件に対して「流れた涙が冷やした」部分を「〜/わたしは忘れないわ」とかそういう風に変えれば意味が通じるのだ。このような、いかに考えても意味の通りそうもない歌詞を何事もないかのように押し通してしまうのは、aikoが言葉の論理性以上に、単語レヴェルに解体された次元での言語の象徴作用を巧みに使用しているからだと思う。つまり「雨が邪魔しても」における「湿」的感覚は「乾いた指先に残る」の「乾」的感覚と対置され、「あなたの唇の熱」での「熱」は「流れた涙が冷やした」における「冷」と対応している。それはすでに歌詞の「意味」の水準ではなく、より高度に抽象化された次元での対置関係を結んでいた。