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■ある「有名」な日本人アーティストのホームページで、こういうような事が書いてある。世の中には情報があふれていて、みんなそれに飢えてて一生懸命になってるけど、どうなの?みたいな。結論としては、沢山の情報を知っててもダメで、自分らしくその情報に接しなくちゃいかんよね、みたいな。僕にとってはこういう「自分主義」というか「個性主義」みたいのって一番つまんないと思う。そもそも個人が自分で考える事なんてたいした事じゃなくて、結局は時代的規定に流されるか、それこそ「自分らしく生きましょう」みたいなつまんない事にしかならない。その証拠にこの「有名」な作家はそういうことを言い続けている。むしろ「自分」という凡庸なる存在を常に相対化し「個性」なるものをズタズタに引き裂いていくのが歴史であるはずだ。その圧倒的な情報の厚みの前で「自分」の「個性」なんて消し飛んでしまう、言うまでもない事だ。それに耐える事ができないような人たちが集まって、みんなで楽しくワークショップしまくって他者とコミュニケーションしてるつもりだなんて、信じがたい。歴史という他者性そのものとしての場所を知らない田舎者だとしか思えない。


でも、僕は今の状況が悪いとはそこまで思っていない、いつの時代もどこであってもそこにいる大半はバカだったのであって、そういう人達がやってる無意味な事なんてそれこそ歴史の波が簡単に吹き飛ばしてしまう、だからこそ重要な作品しか残らないのだし、過去はいつも良かったように思える。アメリカなんかにいるとそれこそ、こんな無意味な美術業界の中で制作なんかやってていいのかな、とか何度も絶望させられるけど、要するに今の業界の中で作品なんか作る必要はない、単に歴史の中で作ればいいのだ、と自分を励ましている。とは言え、圧倒的なマスターピースの数々を目の前にすると、こんな過酷な歴史の中で作品なんか作れるのかと、また絶望するのだけど。


と言いながら、自分が「歴史主義」みたいな場の共同性の中に、あるいはそのような思考の枠組みに気付かぬうちに規定されているのであれば、すぐさまその場の狭さを相対化、意識化しなくてはいけない。


On the website of a certain "famous" artist, roughly speaking, the following is written; there are lots of information in the world and everybody thirsts for that though, why? In conclusion, knowing lots of things itself is meaningless and everybody should treat with such information in your "own" way. For me, these kinds of "individualism" or "originality-ism"are most boring. Firstly, what a individual thinks individually tends not to be original, eventually it ends up being affected by a vogue Zeitgeist or being a boring opinion like "being myself". As a evidence of that, the "famous" artist continues insisting such a thing. However, such a boring "individual" cannot help being dispersed by a history which has tremendous thickness. In front of the history, needless to say, "originality of a individual" end up coming apart. The people who cannot stand it get together and hold lots of workshops, I cannot believe it's communication with others. They are merely the "rustics" who don't know the history as a very otherness itself.