■一週間ほど前に大学の仕事に一区切りつけ、それからは毎日ボストンとニューヨークの美術館などをじっくり観て回っていた。本を読まず、作品の前でのみ何かを考える、という時間をまとまってとる事が出来、満足。備忘録として、とりあえずその間のスケジュールを記しておく。


3/19 ボストン美術館(ヨーロッパ絵画セクション、日本美術セクション)


3/20 ハーヴァード美術館


3/21 ーー


3/22 メトロポリタン美術館(ヨーロッパ絵画セクションを中心に)、クロイスターズ美術館


3/23 メトロポリタン美術館(日本美術セクション)、チェルシーギャラリー街


3/24 Dia:Beacon、ホイットニー美術館(ホイットニーバイエニアル2006)


3/25 メトロポリタン美術館(特別展「ラウシェンバーグ:コンバイン」)


こうしてみるとかなりの量をまとめて観たように感じられるのだが、これでも随分、行き先をしぼって動いていた。クロイスターズ美術館以外はすでに何度か行った事がある美術館なのにもかかわらず、その空間をあらためて訪れて数々のマスターピースを前にすると、新たな発見、以前気付かなかった何かに驚く。と同時に、自分の見方、分析方法の紋切り型にもまた気付く事になり、そうだ、それをどうにか脱却するためにこそ、集中的に多くの作品の前に向かう事に決めたのだと、初心を確認させられた。気になった作品のいくつかをpict-randum 03/2006に整理しておきます。


■一週間前に届いたJuly2001〜May2004 Ryoji SUZUKI Architect を開き、一年以上前に金比羅を訪れた際の興奮がよみがえってきた。この本、何がスゴいかって、鉛筆の質感がすごくリアルで、触ったら鉛筆の跡がついちゃうんじゃないか、ってくらいなのだ。鈴木氏の三年がかりのプロジェクト自体もさることながら、そのエスキース集の出版実現まで進めてゆくアセテートの姿勢もまた驚くべきものだと思う。その努力に報いるためには、この容易には読み解きがたいエスキース集から何かを探し出し、自らの生産に反映させるしかないんだろうなあ、と勝手なプレッシャーを感じている。いや、そういうテンションがここにはあるということです。