■アーティストの奥村雄樹さんがレジデンス先であるlocation oneのプログラムの一環としてMITに見学に来ていて、その後会って家に泊まってもらう。一年くらい前に僕の展示に関して「美術手帖」に書いてもらったので知り合っていた。なんか熱心に見てる人がいるなあと思ってたら奥村さんで、記事にしてもらえるという事になり会場でいろいろ話したのを覚えている。こちらを案内したりできればよかったのだが、やや忙しい時期でそれも叶わず残念。


ジジェク"Parallax View"より。


"public" as opposed to "private" :"private" is not individual as opposed to communalities, but the very communal-institutional order of one's particular identification; while "public" is the transnational universality of the exercise of one's Reason. ((カント「啓蒙とは何か」において)「プライヴェート」に対置される「パブリック」。 「プライヴェート」は共同的状態に対するものでなく、むしろ実に特殊な自己同一化の共同的ー制度的秩序として存在する。対して「パブリック」はある者がもつ理性の運動としての超越論的普遍性である。)


The paradox is thus that one participates in the universal dimention of the "public" sphere precisely as a singular individual extracted from or even opposed to one's substantial communal identification. (このパラドックスはしたがって、ある者がまさにその者の実体的、共同的な同一化から排除され、あるいはむしろ対立された特異的な個人として「パブリック」圏内の普遍的次元に参加する、というところにある 。)


訳してみると、断然に難しそうに響いてしまうのは困りもの、僕の訳し方の問題という事もあるのですが。意訳しだすと切りがないし。それはいいとして、このあたりのカント解釈は完全に柄谷行人の「トランスクリティーク」から来てる。時間がないのであげませんが、コギト解釈も、完全柄谷経由。この背景には「隠喩としての建築(Architecture as Metaphor)とトランスクリティーク(Transcritique)がMIT Pressから出版されているというのが大きく働いているはずで、さらなる英訳を期待したい。世界基準としてKarataniが読まれる日は全然遠くないと思う。