宇多田ヒカルの「Keep Tryin'」のPVをみて、何か違和感があるなとおもった。基本的にこの人のことを知らないし特に最近のことはよく分からないのだが 、例えば「sakura drops」や「光」 などと比べてみる限り、歌い方やサウンドはほとんど変わっていないよう。大きく違うのは歌詞。そもそもなんでわざわざ聞いてみようかと思ったのかと言えば、タイトルがとんでもなくダサイからだ。少なくともアメリカンスクールを出てアメリカの大学に行ってる(行ってた?)宇多田ヒカルがそれを知らずにつけているわけではないのは明らか。


「タイムイズマネー」/将来、国家公務員だなって言うな 夢がないなあ/「愛情よりmoney」/ダーリンがサラリーマンだっていいじゃん/愛があれば


少年はいつまでもいつまでも片思い/情熱に情熱にお値段つけられない/お父さんkeep trying,trying/お母さんkeep trying,trying/お兄ちゃん、車掌さん、お嫁さんkeep trying,trying


言うまでもなく「fight song 応援歌」のパロディなのだし、PVのなかでも本人が様々な格好(女子高生とか車掌とか)をして登場し、作品の「なんちゃって」感を強調する。まあそれだけだったらなんて事もないのだが、気になるのは曲調や歌い方にそのようなパロディー的な態度の二重化がまったく反映されていないこと。例えばパロディJ-popの権威としての氣志團とかだったら、もっとわかりやすいのだが、ここの宇多田の場合、サウンドや歌い方の次元において「素直」にアメリカのR&Bを踏襲しつつ、歌詞の次元における二重化が展開されている感じでややこしい。まあ、どうでもいいや。