レクチャーのおしらせ、exp.シンポジウム

作図の地殻変動とアート | 池田剛介
東京藝術大学 取手キャンパス メディア棟 2F
9.11(金)14:10-15:35

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遠近法や地図作成に代表されるように、作図を行うことの本質には、三次元的な世界をいかに二次元へと落とし込むか、言い換えれば、世界の複雑さをいかに縮減し、均質な視覚的平面において表現するか、という問題がありました。こうした視覚中心主義は主に西洋近代を通じて徹底され、芸術においても20世紀絵画のモダニズムに典型的にみられるような、視覚の特権化が押し進められます。


1980年代以降、美術批評はこうした視覚中心主義に対し、精神分析学や生理学の議論を踏まえた批判を加えます。私たちの知覚や認識が、視覚に特権化されることのないメカニズムにおいて作動しているという前提のもとに、様々な形での作品の読みが展開されてゆきました。


そして現在、こうした精神分析学や生理学が、脳科学をはじめとする新たな知見によって揺さぶりをかけられています。現代フランスの哲学者カトリーヌ・マラブーの議論は、脳損傷再生医療の例などを踏まえ、精神分析に根本的な見直しを迫っています。このことは、遺伝子レベルで作図された私たちの感覚のメカニズムそのものに新たな考察を投げかけうる、先端的な問いだと言えるでしょう。こういった問題系をその本質において捉えるような美術・映画作品などを紹介し、制作実践レベルの問題と接続させてゆくことが本レクチャーの目的となります。

今週金曜日の9.11(!)、たほりつこ先生が担当されている「図学」の授業の一環として、東京芸大取手キャンパスにてレクチャーがあります。これまでの千葉さんなどと展開してきた議論をやや強引に「図学」という枠組みと接続する形で話してみようと思っています。

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土曜日のトーキョーワンダーサイトでのシンポジウムは、オープニングと重なっていたこともあり、とても多くの方にご来場頂き感謝です。web上でもいくつかレポートや、議論を踏まえた上での意見なども頂いています(こことかこことか)。こうして議論がある程度まで共有されていること自体、美術においてここしばらくなかったことなので、とりあえずは良いのではないかと。シンポジウムとしては、途中で気候変動が起こり(!)、たいして議論が展開できないままに終わってしまったので、ちょっと申し訳なかったのですが。


しかし大ざっぱな印象で言えば、芸術というのが未だに、何か不可侵な外部性へと開かれるようなサディスティック-「混沌」的なモデルで捉えられている気がするのですが、どうなのでしょう。まあ、そのあたりの趣味性は分からなくもないのですが(というかぼくも好きなのですが)、その大部分はおおよそ秩序ー混沌の対立軸の中での「カオス」イメージでしかなく、ちょっと前提として古いと思う(趣味的には好きだと言いましたが、趣味なんて基本的にハビトゥスで操作できると思ってるので、現代美術系のギャラリーに通えばその趣味を獲得できるし、ニコ動を見まくっていればそこにアディクトできる。左翼系運動も続ければそういう趣味にもなるでしょう、という程度。なので、とにかくそういう趣味性は批評には関係ない、というだけです)。ともかく議論で問題にしていたのは、「生成変化」や「トランスメディウム」といった話を、カオスのイラストレーションのようなものからズラしておきたい、ということ。むしろ一見秩序立って見えるものの中にこそ、微細なヤバさが振動しているということもある。フェルメールなんかはこういうものを体現する作家としてきちんと扱いたかったわけですが、しかしこの辺りを強調すると脊髄反射的に「保守w」とか思われちゃうツラさもあるわけですね、まあ別に気にしないんですけど。


ともかく芸大でのレクチャーを終えれば、再び個展に向けて制作に集中できそう..