八丁堀でのトークは無事(?)終了。話題性もあり、たくさんの人に来ていただいてたのはよかった。ぼくなりに一応がんばったつもりです。少しは盛り上がったと言っていいのではないかと。


Chim↑Pomは今回の件で本を準備中とのこと、こちらにも期待。


制作に集中だー。

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追記(12.6)


「ピカッ」に関連して、作品としての消費のされ方に問題があるんじゃないか、と何度かいったような気がするけれど、そのあたりからもう少し展開して、作品と観客の「出会い」のありうべき姿、みたいなところまで持っていければよかったなあ、と。ここを詰めることができれば「美術における公共性」の問題をより生産的な議論の方向に進めることができたかもしれない。実際、パネリストの遠藤水城さんもそれに近いことを言われていたとおもうのだけれど、ちょっとその場ではパスがつながらなかった。いや、ぼくはかなりナイーブに、アートの可能性を信じている人間なのだなあと思い知らされました。いろいろと考えていたことはあるんだけれど、結局、冒頭の持ち時間のあとのディスカッションは、その場での対応で話すしかなかった(同じことの反復も多かったです、すいません)。議論の齟齬も多く、いくつか整理しておくべき点があるはずなんだけれど、今はその余裕がない。ディスカッションのまえに考えていたことは、また次の機会に持ち越します。


以前、柄谷行人さんや浅田彰さんといっしょの場に居合わせたことがあって(以下うろ覚え)、柄谷さんがシンポジウムとかで何かを話すことに関して「準備していないアドリブはない」とか言って、ぼくはすでに(すげえ、名言だー)とかびびっていると、浅田さんがすかさず「しかし、準備されたアドリブもないんだけどね」などと切り返したりしていた、そんなことを思い出していました。精進します。