ネグリ読書会

今年度末のネグリ来日に関連した芸大での企画に関わっていて、こんな読書会をすることになりました。オープンにやってますので、興味のある方はお問い合わせを。a.negri.geidai@gmail.com
ネグリ読書会
http://negri.jugem.jp/


九月に入ってから制作モードで順調に進み、作品の展開の形が見えてきている。制作は常に、「大きな」形での実現をイメージしながら進めているのだけれど、その道のりの途中で「小さな」作品たちが派生的に生まれるのも、また楽しい。けっこう小品が好きだ。

読書会のためにちらっと「帝国」を読み返してみると、この本がでた6,7年前から世界の状況はずいぶん変わっていて、「帝国」のアクチュアリティの意味合いも変化したとも思える。9.11以降のアメリカはネグリ=ハート的なポストモダンな「帝国」的ヴィジョンの発展というよりも、もろにプレモダンな「帝国主義」を押し進めてきてて、これは帝国的な生政治というよりも、アナクロニスティックに死を司る「君主」的政治が暴走していたような状況だった。とはいえまあ、ブッシュの8年があまりに異常だったんだし(まだ終わってないけど)、来年頃にはアメリカも民主党が政権をとって一応ポストモダンな「帝国」が再来することになると思うし、そういう意味でも、このタイミングで『帝国』を読み直してみるのは悪くない。メンテナンスだけのポストモダンってやだなー、と思いつつ、最近、作品のメンテ(金具つけたり箱つくったり)ばっかしてたりする。だからってメンテナンスを増やすだけの販売を放棄できる訳でもないし、重要なのはむしろその両面、売ることと、それへの抵抗とを同時に実践することだと思う。しかしメンテナンスしてても生産性はあがらないよね、あるいは、完全に純粋な、自律的メンテナンス(autonomous maintenance)についてなら考えてもいいかも。