宇多田ヒカル「Flavor of Life」

宇多田ヒカルが最近出した「Flavor of Life」が好きだ。


宇多田ヒカルはバラードとポップな曲とで歌い方が全く違い、前者(「誰かの願いが叶うころ」とか)が粘り気のある油絵具で微妙な調子の変化をキャンバス上に現すようであるのに対して、後者(「This is Love」「Traveling」とか)は光沢質のウレタン塗料で車のボディをピカピカに塗装していくような、徹底した無機質さをもっている。「Flavor of Life」は、通常のヴァージョンとバラードヴァージョンとが同時に発表されていて、上の歌い方の差異が同一曲の中で見てとることができて面白かった。


「ありがとう、と君に言われると/なんだか切ない」
と、このような一節で曲を踏み出すのだが、バラードヴァージョンで聞く、このフレーズはとても印象的だ。「なんだか切ない」というのは身も蓋もない言い方で、曖昧な感情の動きに対して曖昧な言葉を与えているのに過ぎないようにも思える。「切ない」という、微妙なニュアンスを多く含む(どう英訳すればいいのか?)形容詞に、「なんだか」(kind ofって感じかな)という不透明なフィルターをかける。このような「なんだか切ない」という明確な輪郭を欠いた感情の動きが、「ありがとう」という、あまりにも明朗な、簡素な言葉によって生み出される。


これは一見、シュルレアリスティックなまでに飛躍のある連結だが、同時にリアルでもある。微細な感情の揺れが日常の中で、まさに香り(flavor of life)として、くっきりと立ち現れてくる、そのようなリアリティ。そこで明確に感知される「なんだか切ない」という感情は、実は普段から僕らが生きている中で幾度となく現れているが、しかしその些細さ故に感知されることなく、見落とされてきているものなのだろう。「ありがとう」、「どうも」。というような形式化された(対話ですらない)対話の中から、ふと感情が揺れる瞬間を丁寧に拾い上げる。いわば、日常的な生活の中からこぼれおちてしまう感情の、微細とも思える陰影の中にこそ、生活の香り立ちを見いだしている。そしてこの瞬間において、あまりに凡庸な「ありがとう」という言葉が、翻って、リアリティをもって感知される。