「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」展

森美術館ビル・ヴィオラ:はつゆめ」展へ。力強く、かつ、高精度な展示。この作家の近年の活動の総決算。


このアーティストは80年代頃から一貫して映像メディアを使ってきていて、(今回は出されていないけれど)初期はヴィデオというメディウムの本質をシャープに突くような、いわばヴィデオとは何か、というような自己言及的、フォーマルな問いの基に作品が作られたものが多いのだけれど、90年代頃を境にするのだろうか、いわゆる「生と死」とか「喜びと悲しみ」、「静と動」のような二項の強烈なコントラストを全面に押し出すような傾向が強く、今回の展示でも、ほとんどがそのようなフレームの中で、よくいえば壮大な、悪くいえば単純な作品群が揃っている。


上に挙げたようなコントラストは、画面上で「タメ」と「放出」という時間的構造を持ちつつ現れる。例えば"The Raft"(2004)。横長にプロジェクションされた画面に、等身大に近い(おそらくは少し大きめ)15人程度の人々が詰め合うように立ち、横並びしている。これらの人々のうちの何人かは話をしたり、本を読んだりしている、この場面がスローモーションでゆったりと引き延ばされている、と突然、画面両端から猛烈な勢いで大量の水がわけもなく延々と吹き出し、人々を叩き付ける。ある者は倒れ、ある者は必死で堪えようとするが、やがてその勢いに負け水しぶきの中に崩れ込む。やがて水の噴射が治まり、ずぶ濡れの人々が佇む、と。ある一定の退屈な時間を過ごさせつつ緊張感を高めておいて、その後、一挙に(だいたいがすごい理不尽な)クライマックスを持ってきて、それが過ぎ去って、静かに終わり。単純なのだけれど、その強烈な出来事としての抑揚(立ってる場面から水に飛ばされる場面へ)と、それを印象づけるための時間的抑揚(タメと放射)とが重なり、一気に持っていかれる力強さは否定しがたい。思うに、お金の掛かっている(つまり、失敗できない)非常に大掛かりな作品では、こういう問答無用の力技全快で持っていってしまうのだけれど("ミレニアムの5天使"(2001)、"クロッシング"(1996))、いくつも見てるとちょっと大味すぎるところもあり、その中では、もう少し規模が小さくて地味な"サレンダー/沈潜(2001)"とか"驚く者の五重奏"(2000)とかの方が面白く見えたりもする。そういう点も含め、よく出来た展示だと思う。