京都にて

kosuke_ikeda2006-12-07

3日に搬出を終え、その日のうちに東京に戻ってきた。


関西にいる間、見たい展覧会を押さえつつ、人と会いつつ、個展会場へ行き、という感じで忙しかったのだが、せっかくの秋の京都なので、ということで建仁寺に行ってきた。で、気にはなっていたのだけれどこれまで見る機会をつくれなかった、四年前くらいに日本画家・小泉淳作が法堂の天井画に描いた「双龍図」、これが予想以上にすばらしかった。この人の五十年代の作品なんか、日本画というジャンルにありながら、ほとんど香月泰男のような堅牢なリアリズムで、それ以降も、美術団体に属さず、独自の日本画の道を模作してきたような特異的な人だ。この天井画を制作した間の記録を納めた映像が流されていて、若い頃、ルオーに相当影響を受けたらしい。自分の絵とルオーのとを並べてみて「どっちが重いか」とか考えていたなんて、ちょっと正しすぎるし、泣ける。


いわゆる日本画業界の「お偉い」人に頼むのではなくて、本当の意味での歴史的評価を築くのであろう画家に天井画を依頼する、そのような判断力が、やはり京都の底力なのかもしれない。まあそれは、当時評価が高かった訳でもない若冲鹿苑寺金閣寺)大書院の障壁画を描かせたりするのとつながっているのだろうけれど。この後、おそらくは500年以上残ってゆく(残されてゆく)のであろうその天井画が、それにふさわしい価値を持つものであること、そんな当たり前のことが、きっちりと為されてゆく、そのような判断力の蓄積が京都の伝統を実は支えているのだなと感じた。


どうも最近の美術業界の一部では、今更、北澤憲昭氏の十年以上前の議論を聞きかじったような人たちが「いや、『日本画』という概念はですねえ・・」とかなんとか恥ずかしいことを言っていて、それはそれは恥ずかしすぎるのだけど、そう言う方々には、もう少し自己意識を持って頂いて、こういうマトモな画業を続けている画家にも目を向けてもらいたいと思う。


他にも、「伊東忠太」の祇園閣が公開になっていて、初めてその中へ足を踏み入れることが出来たのも、幸運だった。