「aikoのマンガ100選」から、楳図かずお「ねがい」

kosuke_ikeda2006-10-20

ここしばらくずっと家で制作という日々が続いていたのだけれど、今日は制作を半日にして、夕方から下北沢へ。ヴィレッジバンガード楳図かずお「ねがい」を買う。収録は「ねがい」「DEATH MAKE」「断食」「Rojin」「プレゼント」「蛇」「鎌」。この本はswitch9月号のaiko特集内で「aikoが選んだマンガ100選」の中の、(たぶん)most recommendedな十冊のうちに入っていたから気になっていたのだ。僕にはマンガに関する教養が皆無で、楳図かずおは好きだけれど「わたしは真悟」「14歳」「漂流教室」みたいなマスターピースしか読んでいないし、このことにはかなり引け目を感じている。aiko100選を手がかりに開拓していきたいところ。


ほとんどの作品内に、ある「隔たり」が導入され、そしてそれが必ず突き破られる。「ねがい」でいえば二階の窓を破り現れるモクメ、「DEATH MAKE」では校舎内部から飛び出てくる怪物、「Rojin」では、穴に入った老人を子供が閉じ込め、最後にはそこから出てくる。「蛇」では大蛇が檻から逃げ出し、その後もう一度家に閉じ込められた後、空気抜けから出る、二重の「隔たり」とその突破。「鎌」では棺桶のなかの老女が飛び起きる。


重要なのは、このような隔たりとその破壊を経た後に、登場人物が何らかの変化を被ることだろう。「ねがい」の少年は侵入してきたモクメを破壊することで他者とのコミュニケーションを求める「大人」に、「Rojin」の少年は、自らが作った檻に閉じ込めていた嫌悪の対象としての「老人」への同一化を欲望する。「蛇」の少年は、家から抜け出た蛇から逃げ出すことで父と出会い初めて「子供」になり、「鎌」の少女は棺桶から老女が飛び出すことをきっかけにして、老女自体に変化してしまう。(そういえば、「漂流教室」では最後、隔たった世界に残る、いわば閉鎖空間から抜け出ないことを選択することによって、少年らは「大人のまま」であり続けようとした。)隔たりを何かが突き破ることによって、子供は、その反対物としての「大人」や「老人」に、あるいは「蛇」における大人びた少年は「子供」に変化する。リオタール-クラウス的なマトリクス。形体を、その反対物へと変形する力。


... the beat summoned by these devices (zootropes) could not be understood as structurally distinct from "vision" but as operating from within it. They welcomed this beat, then, as a force that could transgress those very notions of "distinctness" on which modernism relies. (Lyotard)