若かりし頃

i podでシャッフルしながら聞いてたら、corneliusFANTASMAの曲が流れてきた。1997年だから十年近く前、高校生だった僕はずいぶんと衝撃を受けた気がする。"mic check" "count five or six"とか、ほとんどタイトルの要素の反復だけで曲が構成できるというのが、当時の僕としては新鮮だった(若すぎる)。その後、アメリカのマタドールから出て、結構ウケてる、みたいなことを聞いて「スゲー」みたいな。アメリカの楽天オークションみたいなe-bayっていうサイトがあって、そこでcorneliusFANTASMAで検索かけたらこんな感じで大量に出てきた、やっぱ当時はこっちでも売れてたのかも。


ついでにbuffalo daughterの"new rock"も入っていたので聴く。なかなか悪くない、というかまあ、今ニューヨークとかでライブしても結構ウケるんじゃないかなあ,という感じ。で、せっかくだからホームページをみてみたら新曲をだしてるみたいで、しかもすごくカッコわるく分かりやすすぎる感じになってて、あれれ、と。ファーストアルバムのクールな感じがいまでもいけるんじゃないかと思うんだけど。まあでも結局、九十年代ってこんな感じ。美術にしてもそうだけど、八十年代にすれっかれたシニシズムの残りカスの無意味な洗練しかなくっていて虚しくなる。今はどうか知らないけどcorneliusbuffalo daughterアメリカのマタドールというレーベルからCDを出していて、そのことに妙な興奮を覚えていたし、ほんと当時の僕としてはアメリカって遥か彼方だったなあ。まあでも、そういう不毛な時代的規定を超えて生き残る作家もほんの少しはいるわけだし、作品を創る可能性なんてそこにしかない。FANTASMAにしても、それまでのフリッパーズから69/96までの流れからは完全に飛び越えてるし、小山田圭吾のキャリア上の大きなポイントを形成してると思し、一応、いまでも聴ける(というかそれ以前のはちょっとムリだし)。日本に帰ったら、こういう同時代性バリバリの話をしながら飲みたいなあ、とおもう。


とかなんとか書いてたら、高校生時代のことをいろいろ思い出すなあ、僕は京都だったので深夜に「ラブ・オーバーナイト」(だったと思う)っていう小山田圭吾のラジオをやってて、次の日学校だってのに三時くらいまで起きて音楽ネタを集めてたり。当時はなんだか世界で自分だけがこういうことをしているかのような気分だったけど、芸大とかいくと大体みんな同じようなことやってたのが分かったりして、なんだかなあ、と。今調べたら小山田圭吾って1969年生まれで、ってことはファンタズマの頃、今の僕と同じくらいの歳だったのだ。いや、すごかったなあ。(そういえば僕のルームメイトのイスラエル人はカヒミ・カリイをもってる。)