「蝶々結び」の謎

以前、aiko 「蝶々結び」に関してここに書いたけど、この曲は聴けば聞くほど謎が増えてゆく(いや、ほんとにそれくらい聞いてるし)。


以前書いたことを要約すると(ちょっと分かりにくいのですが)、第一のサビ部、「過去にも2人は同じ様に/出逢ったならば恋をしたね」において、「過去にも…同じように/出会ったならば恋をしたね」言われていることから、現在、出会って恋をしていて、しかもそれと同一の仮定を過去に対して行っていることになる。にもかかわらずここで、「恋をしたね」という部分は、もう既に恋をしている、ということを示している、と。つまり「出会ったならば」という条件は過去に対して投げられるのにもかかわらず、「恋をしたね」という結果は現在の水準で発せられている、ここで条件とその結果は不思議なねじれを見せる。ただ、この歌でさらに奇妙なのは、「恋をしたね」というステイトメントが現実世界において発せられているのだが、その主体と、恋の相手との関係が判然としないところだ。歌詞の冒頭


「紋黄蝶飛ぶ昼間の時/ちょうど今目が合ったよね/それはきっと恋があるからさ
/麗し君 大空に振る舞う君/どんな花に留まるだろう/待ってみよう」


「大空に振る舞う」という歌詞が、人の振る舞いと蝶の舞とに重ねられているところが秀逸で、それを踏まえれば、「どんな花に止まるだろう」というのは、目が合った相手が誰を恋人に選ぶかを「待ってみよう」という段階だと言うことなのだろう。つまりここでは曲の(おそらく)ヒロインとその相手は、「目が合っ」てそれを「恋があるからさ」と思う、という程度の関係性なのだろう。しかし、第二のサビ部へ至ると、聴者の疑問は増すだろう。


「あなたの全てがこぼれ落ちても/あたしが必ずすくい上げるさ
変わらぬ悲しみ嘆く前に/忘れぬ喜びを今結ぼう」


「変わらぬ悲しみ」を嘆くというのは、恋愛状態においてかなりの時間的経過を感じさせるし、「忘れぬ喜び」を結ぶということは、忘れないだけの蓄積が二人の間に為されたことが分かる。同様に、「あなたの全てがこぼれ落ちても/あたしが必ずすくい上げるさ」においても、二者の親密さが示される。


というように、短い曲中に、聴者を錯乱させる要素が散りばめられている。そもそも、以前の日記でも指摘したのだが、「夜がやって来る前に」「闇が訪れる前に」「変わらぬ悲しみ嘆く前に」というように「〜の前に」という、未遂性が強調されているし、「どんな花に留まるだろう/待ってみよう」にしても、何か物事が起こりつつあり、未だ起こっていない何かを待つ、という未遂性としての可能-性が見て取れる。あるいは、第一の歌詞で僕は現実世界においてすでに「恋をした」(=既遂状態)という風に読んだのだが、それ自体が誤りなのだろうか。というのも


「過去にも2人は同じ様に/出逢ったならば恋をしたね
この気持ち言い切れる程あたしは/あなたの事を今日も夢見る」


と、「この気持ち言い切れるほどあたしは/あなたの事を今日も夢見る」とあり、つまりすべては「今日も夢見」ている中での妄想ともとれるのだ。だとしたら、「現実世界において恋をした」という妄想の中でさらに「過去にも同じように出会ったなら恋をした」という二重の妄想をしているわけで、もうこれはタルコフスキー「鏡」のような世界。


とにかく、今日はここまでにして、また今度考えてみます(たぶん)。