2009年問題

「ヴィヴィッド・マテリアル」展はいくつかの形で反響を広げていて、僕としても最近、マテリアルの問題が気になり出してきた(おそい)。ひとつの参照点としては1969年だろうか。ベルンでの「態度が形になる時」やニューヨークでの「アンチ-イリュージョン」展など。いわゆるポスト-ミニマリズムの動向がひとつのムーブメントとして結晶化したあたり。小さなテキストの締め切りが近づいていて、そこではロバート・モリスに焦点を当てて、そのあたりの問題を考えてみようと思う(のだけど、全然進んでいない)。69年という意味でも、ネグリ招聘関連イヴェントとして「ヴィヴィッド・マテリアル」展が企画されたのは正しかったのかも。あるいはむしろ、それから40年後にあたる2009年にこそ、マテリアル問題の照準を絞るべきなのかも。(それは未来派宣言からもちょうど100年後にあたる、のは関係ないか)。


その辺りを考える時に、モダニズム系とニューアートヒストリー系の言説は日本でもそこそこ(ってもごく僅かだけど)あるように思うんだけど、その間に挟まれたポスト-ミニマリズムのあたりって完全に抜け落ちてる感じがする。特にロバート・モリス、リチャード・セラ、エヴァ・へスとかそのあたりの素材への傾倒は、単なるフォーマリズムへの反動という理解では収まらない、重要な問題を孕んでいると思う。と、ここまで書いて、そういえば「重力」とか「痕跡」っていう展覧会もあり、全くとり上げられてないわけでもないか、と思いつつ、なんと言うか、そういった枠組みってどうしても反フォーマル、反視覚としての「アクション」とか「インデックス」とかそういった方に引きずられがち。クラウス-ボアの「アンフォルム」とかでもそれに近い所があると思う。むしろモリスなんかはある意味、中途半端にも見えかねない所があるんだけど、フォームと素材との間、あるいは視覚性とアクションとの間で、作品を考えていた作家であるように思える。