MP3に落とされた昨日のインタヴューを聞く。時々自分が話してるのを録音を聞くことがあると、ほんとに僕の声なの、と、にわかに受け入れがたい。昔、柄谷さんも「形式化の諸問題」(たぶん)で、同じことを書いてたけれど。意識する、というのはこういうリアルなズレの感覚なんだ。


ここでもう一歩突っ込めばよかったなー、という箇所がいくつかあって、もどかしい。この段階で議論をもう少し整理できれば一歩先へ進めたはずなのに、と。最近、シンポジウムとか行くとストレスたまるだけだからあまり行かないけど、そういうことがライブでうまくできるようになると本当に動的な言論の場を作り出せそうな気がする。必要なのはもう一歩踏み出すことで、そこへ進むためにはそれまでの議論の地盤をしっかりと整理しないといけない。端から見てると簡単そうなんだけど、ライブで自分も話しながらということになると途端に難しくなる。20日の芸大でのレクチャーでは、いわゆるヒロシマのような出来事の「表象不可能性」という枠組み(それは圧倒的に正しいんだけど、今やドグマ化しているようにも見える)から少しでも先に踏み出せるような、いやそれは後退してるのかもしれないけど、そういうところを目指したい。


以前イタリア人に教えてもらった作り方でカルボナーラを作る。不味い!