『ユリイカ』(10年代の日本文化のゆくえ)+関連レクチャー

停滞気味のブログですが、最近のおしらせを二つほど。

『ユリイカ 2010年9月号』特集:10年代の日本文化のゆくえ

掲載論考「マイクロマテリアルな環世界変容へむけて」

10年代とよばれる時代にむけて、文化のジャンルを超えた論考、シンポジウム、対談、インタビューなどが編まれていて、非常に充実しています。そもそもジャーナリスティックなことは僕には書けないので、かなり個人的な関心に引きつける形で原理的なことを書いたつもりなのですが、どのように読んでいただけることやら、心配でもあり楽しみでもあります。

(一つ校正ミス。196頁、上段うしろから10行目「動物的情動と微細な誤作動をもたらす」となっていますが、これは「動物的情動に微細な誤作動をもたらす」に訂正してお読みいただければとおもいます。)

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もう一つ、東京藝術大学での集中講義の一環で、特別レクチャーをおこないます。

9月13日(月) 13:30〜15:00
東京藝術大学 取手キャンパス メディア棟 教室未定
集中授業『図学』(たほりつこ先生担当)

タイトルも未定ですが、おそらくユリイカ論文「マイクロマテリアル」をベースに、人間と動物の問題を基礎にしながらベラスケスやヤン・ファン・アイクなどについて、あとできれば関連して「ポニョ」(宮崎駿)や「わたしは真悟」(楳図かずお)などのことも考えてみたいとおもっています。取手なので都心からは遠いのですが、お近くの方で興味のある方がいましたら予約なしで入っていただけるようですのでぜひ。


近頃は秋の発表にむけて、新作に取り組んでいます。近いうちにこちらもお知らせできると思いますので、お待ち頂けましたら。

SPECULA――21世紀芸術論

2010 東京藝術大学先端芸術表現科 / 大学院 映像研究科 パラレル・プログラム
SPECULA[スペキュラ]
連続公開ディスカッション〈21世紀芸術論〉全8回
http://www.geidai.ac.jp/labs/specula2010/

おしらせがtwitterベースになっていて、blogは停滞気味。
年間通じて、全八回(予定)のディスカッションシリーズSPECULAに参加します。第一回目は6/26(土)ゲストに浅田彰さん、岡崎乾二郎さんをお迎えして、お二人の対談に千葉雅也さんにぼくも加わってディスカッションをおこないます。入場無料、学外にも解放する形で上野キャンパスにて。ぜひご期待ください!

芸術と<現在>
6月26日(土)14:00-17:00
東京藝術大学上野キャンパス 美術学部 中央棟1階 第1講義室
浅田彰岡崎乾二郎 + 池田剛介・千葉雅也
http://www.geidai.ac.jp/labs/specula2010/626.html


高度に発達した情報環境や消費社会のなか、短命な「いま」のダイナミズムや、その連続体としての歴史主義にとらわれることのない多層的な<現在>の可能性、そして知や芸術が担いうる可能性とは何か――。ありえるであろう、いかなる問題にも答えを出そうとする意志にあふれた徹底討議。常に思想をリードしてきた批評家とアーティストをゲストに迎え、世代やジャンルを超えたディスカッションを展開する。

「美と崇高のリ-クロッシング――芸術理論の再起動へ向けて」

2010年に入り、一度もblogの更新をしていなかったという有り様なのですが、とりあえず告知を少し。

フォトグラフィックカンバセーションズ@WIRED CAFE
3/27(土) 22:00〜3/28 (日) 4:00am


第2部 1:00〜3:00 
ミッドナイト・ハードコア・シンポジウム
『美と崇高のリ-クロッシング――芸術理論の再起動へ向けて』
出演者:池田剛介、加治屋健司、千葉雅也、星野太


http://www.gptokyo.jp/news/index.php

千葉雅也さんと共に進めているシンポジウムシリーズですが、今回は六本木アートナイトに参加する形で、ミッドナイトの開催となります。これまで、現代美術やサブカルチャーの動向もふまえ議論を行ってきましたが、今回は美学のハードコアを徹底検討しつつ、新たな芸術理論の構築を目指します。加治屋さんは東京大学ニューヨーク大学で研究をされ、現在は広島市立大学准教授をされている「正統的」なグリーンバーグ研究者。星野さんは、バークやカント以前にさかのぼる形で崇高の概念を研究しているUTCPの気鋭の研究者。ぼくは京都のとある機関誌に寄せた、造形性(plasticity)に関するニューコンセプト「屈射(リフレラクション)」の話をするつもりでいます。


正直、観客層がまったく分からない状態ですが、しかしこの強力なメンバー構成なので、まったく遠慮なくハイコンテクストな話に突入していく予感です。同時に、現代美術を考える上でもアクチュアリティのある議論へと、しっかり照準を定めています。じつは前日には京都で英語でのディスカッションに参加予定という、きわどいスケジュールなのですが、充実した討議になるはずです。みなさまぜひ!

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あと、2009年6月に行った討議「制作の言語の制作」の記録がcon tempo webにアップされています。ここで出てきた「美」に関する問題も、上のシンポジウムへと発展的に引き継がれているように思います。参加していただいた雨宮庸介さんは、六本木クロッシングにも出品されていますので、あわせてどうぞ。

http://www.ottr.cc/con_tempo/archive/july/making_1.html

さようなら2009年、そしてゼロ年代!

2009年、そしてゼロ年代もいよいよ終わり。1980年生まれなので、ちょうど20代をゼロ年代の中で歩んできたものとしては感慨深い気もします。ディケイドの終わりをテーマに、二つ小さなアンケート/インタビューに答えています。


10+1 web site: ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート
http://tenplusone.inax.co.jp/


東京芸大 先端芸術表現科の卒業+修了展示のカタログに「ゼロ年代先端芸術を超えて」と題したインタビューが掲載されています。このカタログは例年以上に作り込まれた力作になっているよう、ぜひ会場で手に取ってみてください。
http://www.sentan2010.com/

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最近はチャットモンチー『告白』を聞いています。特に「染まるよ」から「余談」「ハイビスカスは冬に咲く」あたりまでの流れはとてもよいですね。前のめりにアイデアの溢れる才能をシンプルな技術で危ういながらハンドリングしている感じ。それはさておき2009年を思い返してみれば、今年はやはり10月に個展『Plastic Flux』と題して、ここしばらく取り組んできた仕事をまとめて発表できたのは大きかったです。メインの大作は年明けまで福岡にて展示しています。
http://www.kosukeikeda.com/works/plastic.html


もう一つには、4月の「絵画を再起動する」から始まる千葉雅也さんとの一連の議論。その後、8月のSpiral、9月のTokyo Wonder Site、12月のフランス大使館、と多彩な論客を巻き込みつつ、与えられた機会を一つの流れとして進められたのはとても有意義でした。持続して聞いてくださっている方も多くなっているようで、かつてない手応えを感じています。来年もひきつづきこの延長線上で、強力な展開が予定されていますので、ご期待ください。今後、関東圏に限らず、他の地域も巻き込んでいきたいところです。


その他、2月の美術犬主催シンポジウム「美術」、7月のコンテンポでの「制作の言語の制作」など、制作者との対話の機会もありました。前者はウェブで記録が読めますし、後者も近々、コンテンポwebにてアップ予定です。


多くの人に支えられ、今年も充実した年になりました。そしてFarewell, さようならゼロ年代!もはやウェブでの個人情報発信はBlogからTwitterへと移行した感すらありますが「童話日記」は地道に続けていく予定です。2010年もよろしくお願いします。

シンポジウムご来場感謝、京都へ

12日のシンポジウム<歴史=物語 histoireの現在>(池田剛介×黒瀬陽平×千葉雅也×濱野智史)は多くの方にご来場頂きありがとうございました。関係者の方々、観客のみなさまに感謝です。今後にさまざまな展開の可能性のある充実した議論になりました。ぼくは暴走気味だった気もするのですが...まあともかく、高校生がアツく質問を投げる美術のシンポジウムというのも革命的ではないかと。特に今回はTwitterUstreamというメディアを同時に試してみましたが、おもしろい相乗効果を生んでいたように思います。尽力頂いた大山エンリコイサムさん満身創痍の企画によるシンポジウムポストグラフィティの開拓線が19日に行われます。


この辺りに、今回の集合知的な反応が形成されています。よいかんじです。
http://twitter.com/#search?q=%23histoirenow
http://togetter.com/li/1718


もう少しまとまったレポートも頂いています。ありがとうございました。
http://www.defermat.com/journal/2009/000668.php
http://d.hatena.ne.jp/kuro-nicle/20091212

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今週末には京都造形芸術大学にてArtist Summit Kyoto 2009が開催され、ゲストでクシシュトフ・ヴォディチコ氏が来日、20日に講演をします。この関係で、ぼくも一週間ほど京都に滞在予定。ヴォディチコ氏にはMIT留学時代にお会いして、二年前には東京芸大にも来てもらいました。再会が楽しみ。その他、京都のシーンもいろいろと見ておきたいと思います。

シンポジウム<歴史=物語 histoireの現在>@フランス大使館

websiteに今年の個展での作品を追加。メインの作品は、現在福岡天神のgraniph galleryにて年明けまで展示中です。 http://www.kosukeikeda.com/works/plastic.html
こちらの更新は遅く、今のとこ英語情報しかないまま続けています。たとえばTwitterのようなメディアは、世界の流動性とネットの即時性と人々のバラバラさ加減を一挙に抱え込むような形でできていて何だか大変なわけですが、制作は、そういった流動性からはどこか隔絶した時間と領域をもちながら進められていますので、websiteがこうしてじっくり成型されていくのもいいのではないかという気がしています。ま、それはともかくとして──。

MEMENTO VIVERE/MEMENTO PHANTASMA 関連シンポジウム
12/12(土)フランス大使館 入場無料 


14:00-15:15
おフランスを越えて:現代思想と芸術 日仏交流>
後藤繁雄(編集者、京都造形芸術大学 教授)/木幡和枝(アート・プロデューサー、東京藝術大学 教授)司会:千葉雅也


15:30-17:30
<歴史=物語 histoireの現在:情報・芸術・キャラクター>
池田剛介(美術家)/黒瀬陽平(美術家、アニメ評論)/千葉雅也(哲学、表象文化論)/濱野智史(情報社会論)


今週土曜日、フランス大使館でのシンポジウムに参加します。ちょうど一年くらい前の四谷アート・ステュディウム主催『批評の現在』にて黒瀬陽平さん、石岡良治さん、千葉雅也さん、福嶋亮大さんに僕を加えた五名でのシンポジウムが思い出されます。あれから一年、速いものですが千葉さんとはかなり対話を重ねていますし、黒瀬さん濱野さんとも意見を交わす機会があり、ずいぶんと議論もアップデートされているのではないかと。僕たちの前には木幡和枝さん、後藤繁雄さんによる対談「おフランスを越えて:現代思想と芸術 日仏交流」も。芸大関係の展示も行われています。


ちょっと何を話したものか、いろいろと検討していますが、ついこないだ行った個展「Plastic Flux」での制作ともからむ感じでかんがえていた想像力の問題──近代型の物語構造とは異なる形の「歴史=物語」の可能性について投げてみるつもりです。ウェブに関しては「履歴」という語もまたhistoireなわけですが、こういったアーキテクチャを通じた議論と、創作における想像力の問題は、必ずしも対立的な構図をとる必要はないと思っています。むしろ一見、対立的も思えるこうした二つの軸がhistoireという語の上でどのように交錯していくのか。この辺りを念頭におきながら、2010年代の新たな創作の地平を切り開くべく議論にのぞめればと思っています。質問も、Tsudaりも歓迎。ぜひ!

思想地図 vol.4、村上隆インタビューなど

「思想地図」vol.4。「想像力」という特集テーマを中核にしながら、個別の議題として思想、美術、文学、アニメ、政治と、多岐にわたって扱われている。その意図は巻頭、東浩紀によって明らかにされていて、つまり小さな島宇宙間で、個別の読者にのみそれらが読まれるのでなく、むしろこうして複数のコンテンツが集められることによって、各ジャンルごとの読者層の撹乱を狙うという意図によるもの。


特集内の五つのインタビュー、座談会のうち「物語とアニメーションの未来」、「村上春樹ミニマリズムの時代」の二つはそれぞれ、アニメと文学のゼロ年代総括といった感じ。両座談会でのおおよそ共通の認識として、95年あたりでアニメでは「旧エヴァ」、文学では「ねじ巻き鳥クロニクル」を頂点としてゼロ年代はそれぞれの表現が小さな消費者層に向けて自閉していった「ミニマリズム」の時代だった、と。今後こういった「ミニマリズム」的自閉を超えて「ハイブリッド」へ、というのが後者の文学座談会の結論になっていて、それは「思想地図」vol.4の編集意図そのものへの自己言及にもなっているように思う(追記:というか、このことは東浩紀による巻頭言に書いてありました。失礼)。


書いたように特集全体として扱われているテーマが広いので、とりあえず(さっそく編集意図を裏切ってしまうことになるかもしれないけど)普段の関心と近いところで、村上隆インタビュー「アート不在の国のスーパーフラット」、黒瀬陽平論文「新しい「風景」の誕生」、斎藤環論文「ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失」、座談会「物語とアニメーションの未来」を中心に読んでみた。以下、「村上隆インタビュー」に関して今後の議論のためにざっと素描しておきます。


前半、黒瀬陽平による司会で、村上隆が「アート界で成功する」というフィクションを体現することでアートの制度批評を行うという、きわめてトリッキーかつ真っ当なコンセプチュアルアーティストの道を歩んだことが示され、村上隆もその線で、つまり「アート界での勝ち負け」という問題設定の中で、自分がいかに悪戦苦闘してきたか/しているかということが語られる。さらにそうした現世での「勝ち負け」を超えて、いかに作品が未来へと残されるか、そのための本質を語るという段階の「オタクになりそこねて、現代美術へ..」というあたりで東浩紀が介入。俄然、議論がスリリングに。スーパーフラットといいながらも、経済原理をはじめ全くフラットでない現実を強調してきた村上隆に対し、より根本的にスーパーフラットの可能性を問いなおすことが可能なのではないか、と。現に村上隆マネーゲーム、象徴的権威、オタク的文脈などなど、複数のルールを用いて個別の階層構造を無効化する戦略をとってきたのではないか、というあたりはとても鋭い。その後、中原浩大ら80年代関西ニューウェーブに言及し「潤い」とか「青春」といった語が飛び出すあたりは、これまでの村上インタビューにないところにまでつっこんで話をしているようで、資料的な価値もあるんじゃないかと。


締め切りの迫った原稿があるのに、手元に「思想地図」があると気になって進まない。全体を通じて、それだけ刺激的だったことを付け加えておきます。とりあえず思ったことを荒くまとめている段階ですので、悪しからず。もう少し続けて、今後考えていくためのきっかけとしたいと思っています。